梅雨明けの空は真っ青に澄み渡っていた。長野県上田市の南西。小高い丘を登っていくと、木立の奥に、ひっそりと戦没画学生慰霊美術館「無言館」がある。扉を開け、ひんやりとした石畳を踏む。青空から一転して、薄暗く静かな空間に自分の足音だけが響く。壁に、天井に。大切な家族や恋人、友達、そして故郷の風景がモザイクのように飾られている。見たことなどないはずなのに、どこか懐かしい。そんな絵画は先の大戦で戦死した画学生たちの遺作だ。
無言館は夭折画家のデッサンを中心に展示する美術館「KAITA EPITAPH 残照館」(旧・信濃デッサン館)の分館として、平成9年に開館した。戦没画学生約160人の遺作や、彼らの画材や手紙などの遺品を含め900点近くを保存・展示している。現在、無言館と第二展示館を合わせて170点の遺作が展示されている。
時の流れを含めた保存と修復
戦地に赴き命を落とした画学生の絵画修復も手がける。理念は「時の流れを含めての保存と修復」をすること。劣化や風化もまた作品の一部、生きた証しとして捉えている。取材に訪れた日にも29歳で命を落とした市瀬文夫さんの油彩画の修復が行われていた。
「どこまで修復すべきかの線引きが一番難しい」と、絵画修復家らでつくる「毬の会」のメンバー、中右恵理子さん(60)は話す。10年以上、無言館での仕事に携わってきた。中右さんは「当時の画学生の作品を通して、彼らの作家性に触れることができている。非常に貴重な仕事」と、油彩画を丁寧に直していた。
遺族の思いと未来への継承
終戦から80年以上たった現在も、遺族からの作品寄贈は続く。多くは収蔵庫「時の庫」に保管され、修復を待っている。取材に訪れた日にも、東京美術学校(現・東京藝術大学美術学部)出身で、戦地に赴き、ニューギニア島マダンで29歳で命を落とした市瀬文夫さんの油彩画「三人ヲ配ス」(昭和12年制作)の修復が行われていた。
「展示された絵は無言であるが、多くを語りかけてくる。私もまた絵を前にして自問し、無言になる」と館主の窪島誠一郎さん(84)は「無言館」命名の由来を語った。窪島さんは平成7年から、戦没画学生の遺族を訪ね遺作収集を続けてきた。当時の学生名簿などを頼りに、地道に遺族を探す。やっと見つけた作品には、保存状態が悪く、技術的にも未熟なものも少なくない。しかし遺族は「遺作をお願いします」と、しっかりと窪島さんの手を握った。その感覚がまだ鮮明に残っている。
「遺族たちから作品を預かった責任がある」。窪島さんの思いは切実だ。がんとの闘病生活で、残された時間の使い方を自問しながら作品に向き合い、どう後世につないでいくか、考えを巡らせる。同館は来年で開館30年。いまを生きる私たちに、無言の絵画は静かに、それでも力強く、これからも語りかけてくるだろう。



