秋篠宮家の長男悠仁さまは6日、20歳の誕生日を迎えられた。昨年9月の成年式以降、皇室行事への出席や地方訪問などを重ね、皇位継承順位2位の成年皇族としての経験を積まれている。筑波大2年生として生物分野の学びを深め、茨城県つくば市で過ごされる時間も増えている。
戦争の記憶継承への取り組み
悠仁さまは先月7日、広島市中区の本川小学校平和資料館を見学し、案内した森川敦子校長に「若い世代が被爆体験を継承していくことが大事だと感じました」と感想を述べられた。本川小は国民学校だった1945年8月6日、原爆投下で児童・教員約410人が亡くなった。悠仁さまは、児童で唯一の生存者とされる居森清子さん(2016年に82歳で死去)の証言パネルに見入り、居森さんの被爆体験をまとめた絵本を持ち帰られた。森川校長は「記憶の継承を大切にする我々の思いを受け止めてもらえた」と振り返る。
悠仁さまはこの1年間、学業を優先にしつつも、上皇さまや天皇陛下が大切にされてきた戦争・平和に関する活動に取り組まれた。昨年9月には、先の大戦を乗り越えて伝承された琉球舞踊の公演をご一家で鑑賞。舞踊家の志田真木さん(55)らとの懇談で、舞台衣装に使われる伝統織物「芭蕉布」の産地に話が及び、「沖縄県北部の喜如嘉ですね」と話された。志田さんは「沖縄に特別な思いを寄せてきた上皇さまや天皇陛下のお気持ちを受け継がれている」と感じたという。
成年皇族としての自覚
秋篠宮さまに次ぐ皇位継承順位2位の悠仁さまは2024年9月に成年(18歳)を迎え、昨年9月に男性皇族が成年を迎えたことを示す「成年式」に臨まれた。皇室では、成年式を終えてから成年皇族としての活動を始めるのが慣例だ。悠仁さまは式後、記者団に「成年皇族としての自覚を持ち、皇室の一員としての役割をしっかりと果たしていきたい」と述べられていた。
それ以降、歌会始の儀や宮中晩餐会などの皇室行事に初めて参加し、単独で地方を訪問された。5月には、国賓として来日したフィリピン大統領夫妻を歓迎する宮中晩餐会に臨まれた。フィリピン側の出席者に英語で話しかけ、両国の食や自身の学生生活について語られたという。8月に広島県で開催されたボーイスカウトの大会「日本スカウトジャンボリー」では、公的な場で初めてお言葉を述べられた。同年代の参加者らとキャンプし、料理も作られた。新嘗祭神嘉殿の儀など宮中祭祀にも参列し、側近は「一つ一つの行事を丁寧に心を込めて務められている」と語る。
2拠点生活2年目
4月に筑波大生命環境学群生物学類の2年生になり、秋篠宮邸(東京都港区)と大学近くに借りた集合住宅の2拠点生活を続けられている。側近によると、最近は集合住宅からの通学が増えているという。宮内庁や大学などによると、同学類の同級生は約80人。1年次は主に基礎教育だったが、2年次は卒業研究で取り組む分野を見据えた専門性の高い授業も入ってきた。鳥や昆虫、菌類などを幅広く調べる研究会にも所属されている。宮邸で過ごす時間は限られるが、赤坂御用地で野菜や稲の栽培を続けられている。
悠仁さまは幼少期からトンボの研究を続けられている。昆虫研究を通じての交流がある玉川大名誉教授の小野正人さん(65)は最近の悠仁さまについて、「生息環境や生き物全般にも関心を持ち、視野の広がりを感じる」と語る。小野さんは、悠仁さまが小学5年だった9年前、赤坂御用地でのトンボ調査に初めて同行した。中学生時代の悠仁さまは、十数種類のトンボの特徴を写真付きでまとめたポケット図鑑を自作。高校2年時は、研究者とトンボの学術論文を発表された。変化を感じたのは高3の頃。悠仁さまは秋篠宮さまと訪れた玉川大(東京都町田市)で、トンボなどが生息するビオトープを見学し、「ホタルは生息していますか」「水がきれいですね」と関心を持たれていたという。
天皇家では、上皇さまがハゼ、天皇陛下が水問題、秋篠宮さまは魚類や家禽などを研究されてきた。上皇さまは皇太子時代、皇室の伝統は「常に学問」だったとし、「伝統は守り続けたい」と語られている。



