『モンゴル抑留』井手裕彦著(角川新書・1320円)を読むと、「親日国」と日本が片思いを寄せるかのように描くモンゴル国の対日感情は複雑だと分かる。モンゴル国への理解が皮相的な水準にとどまっているからだ。
モンゴル抑留の実態
シベリア抑留の一環として発生したモンゴル抑留では、軍人と鉄道会社員ら民間人の計1万4000人もの日本人が移送された。そのうち1700人もの人々がかの地で悲惨な最期を遂げた。
著者は記者時代を通して真相を追究しようと孤軍奮戦し、その都度新聞に公表すると同時に日本政府の関係省庁にも成果を伝えた。その努力は並大抵ではない。一読した人は著者に最大の敬意を自然と抱くだろう。
抑留問題が開かない理由
抑留問題という歴史の扉はまだ開いていない、と著者は唱える。評者なりにまとめた原因は以下の通り。
一、日本はそもそもモンゴル人が中国から独立できるよう、支持するスローガンを掲げてモンゴル草原に現れた。満洲国とモンゴル自治邦(蒙疆政権)という2つの国家が樹立され、モンゴル人は鼓舞された。しかし、戦後の日本は掌を返しそれらの国を傀儡政権と呼んでいるので歴史観は対立する。モンゴル人の独立精神が否定されたからだ。
二、1945年8月、モンゴル人民共和国は全成人男性の1割以上からなる軍隊を派遣し、満蒙を解放しようと参戦。南モンゴルは中国と日本の二重の植民地支配下にあり、対日参戦は民族解放の戦争であるというのはモンゴル人の共通した見解であるのに対し、著者が「満洲侵攻」と表現しているように日本側の歴史認識として映る。
残された問い
著者に「ハルハ河戦争で日本の捕虜になって連行されたモンゴル兵たちはどうなったのでしょうか」と、モンゴル国立中央公文書館館長は質問する。ハルハ河戦争とは日本がいう「ノモンハン事件」。戦争と事件では重みが違う。
時を同じくして北へと連行された南モンゴル人6000人はどうなったか。評者は多少追跡調査してきたが、全体像はまだ見えないので、著者にならって研究を続けたい。



