林家三平が国策落語を披露 戦争の記憶を語り継ぐ「出征祝」で平和への思い
林家三平が国策落語披露 戦争の記憶を語り継ぐ

戦時下の落語を現代に再現 林家三平が「出征祝」を披露

1945年3月10日の東京大空襲から81年を前に、8日に東京都江東区の中村中学・高校で「語り継ぐつどい」が開催されました。この集いで注目を集めたのが、落語家の2代目林家三平さんによる戦時中の「国策落語」の披露です。

「全く笑いのない話ですが」と前置き

三平さんは約200人の来場者を前に、「今日は全く笑いのない話ですがお許しください」と前置きして、祖父である七代目林家正蔵さんが創作した「出征祝」を演じました。この落語は、戦時下で息子に召集令状が届いた家族の悲しみを隠し、「出征祝いのお酒、2本買った(日本勝った)」といった駄じゃれを交えた内容で、当時の原作のまま再現されました。

国策落語とは、戦時下の政策を国民に広めるために作られた新作落語のことです。国民の暮らし方や戦争への協力方法を説き、戦争を肯定させるツールとして落語が利用されました。三平さんは11年前にこの台本を見つけ、自由にものが言えない時代があったことを感じてもらおうと演じてきた経緯があります。

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「一番恐ろしいのは人の心が変わること」

三平さんはこの日の演じ終わりに、「一番恐ろしいのは兵器ではなく、戦争に向かって人の心を変えてしまうこと」と強く訴えました。さらに、「この話を全国の皆さんに届けたい」との思いを語り、歴史の継承に対する決意を新たにしました。

戦災孤児の母と元特攻隊員の父の記憶

三平さんの母であるエッセイストの海老名香葉子さんは、東京大空襲で孤児となった経験を持つ方で、昨年末に他界されました。三平さんは母について、「真打ちになるときも手を握ってくれた。そのぬくもりを覚えている。(語り継ぐことを)がんばろうと思う」と語り、母の記憶を胸に刻む姿勢を示しました。

父である初代林家三平さんは、「昭和の爆笑王」と呼ばれた一方で、特攻隊員として千葉県に赴任し、生還した経験があります。三平さんは父から「戦争の話はほとんどしなかったけど『トイレから早く出てこい、そうしないと敵が攻めてくる』とだけ言われた」というエピソードを明かし、戦争の影が日常生活にまで及んでいたことを伝えました。

語り部2世としての使命

「母の分、父の分も、語り部2世として深く考えて、まい進していきたい」と語る三平さん。戦争の記憶を直接受け継いだ者として、その重みを感じながら活動を続けています。このつどいは、民間の東京大空襲・戦災資料センターなどで構成される実行委員会が主催し、戦争の悲惨さと平和の尊さを考える機会となりました。

戦後81年が経過する中で、戦争体験者の高齢化が進み、記憶の風化が懸念されています。三平さんのような芸能人が戦争の歴史を語り継ぐ取り組みは、次世代へのメッセージとして重要な意味を持っています。国策落語という特殊な芸能形式を通じて、戦時下の社会状況と人々の心の変化を浮き彫りにした今回の披露は、平和教育の一環としても評価されるべきでしょう。

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