「何苦礎先生」とコッペパンの思い出 往診の温かさ今も
「何苦礎先生」とコッペパンの思い出

黒縁の丸眼鏡をかけ、白髪交じりの長いあごひげをたくわえたその先生は、白衣をまとい、頑丈そうな黒い自転車の後部荷台に使い古した茶色かばんをひもで縛り付け、風邪で寝込んでいた私の家に往診に来てくれた。そして、いつも太い注射を打ち、ゆっくりと薬液を血管に注入した。その際、いつもニンニクの香りが漂っていた。

注射が終わると、半時間ほど母が用意したコッペパンを食べ、お茶をゆっくり飲んでから、寝ている私に「大丈夫だよ。すぐ良くなるから」と声をかけ、再び重そうな自転車をこいで帰っていった。私が小学校の頃の話だから、ずいぶん昔のことだ。当時、往診してくれたその先生の診察器具一式を収めた茶色革かばんには、確か「何苦礎」と書かれていた記憶がある。

「何苦礎先生」というあだ名

私が高校まで過ごした山梨県の町では、その先生は「何苦礎(なにくそ)先生」というあだ名で親しまれていた。往診の際、いつも清潔で質素な身なりだったが、優しく飾らない人柄だった。軍医の経験もある先生は、日々病との闘いの場に身を置き、懸命に努力されていたのだと思う。「医は仁術なり」という格言が今も心に浮かぶ。

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田沼義雄(75) 千葉県船橋市

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