岐阜城「幻の石垣」発掘で判明 信長時代の「魅せる城づくり」効果を意図か
岐阜城「幻の石垣」発掘 信長時代の「魅せる城づくり」判明

岐阜城「幻の石垣」が発掘調査で確認 信長時代の「魅せる城づくり」効果を意図か

岐阜市が2025年度に実施した岐阜城山上部の発掘調査において、これまで未発見だった「幻の3段目」の石垣が初めて確認された。江戸時代の絵図には4段の石垣が描かれていたが、今回の発見により、その全容が明らかになりつつある。

「魅せる効果」を狙った階段状の石垣

調査では、天守西側において石垣の石材1個(幅70センチ、高さ40センチ、奥行き95センチ)を発見。さらに、石垣の裏側に詰められた小ぶりな石「裏込め」も見つかったことから、これが石垣の一部であったと結論づけられた。市では、この石垣が織田信長の時代に築かれたと推測している。

史跡岐阜城跡整備委員会委員長の中井均・滋賀県立大学名誉教授(日本城郭史)は、「石垣が4段であったことが証明された。階段状に築かれた石垣は、城下から見上げた際に一続きの高石垣のように見える『魅せる』効果を狙ったものであると考えられる」と分析している。

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櫓や塀の存在を示す礎石も発見

3段目の石垣の上部には、起伏の少ない平坦地が広がっており、調査の結果、建物の礎石を三つ確認した。これらの石の間隔が建築で用いられる寸法(1.8メートル=1間)に合致することから、市では櫓や塀など、しっかりした建物が存在した可能性を考察している。

大規模な「竪堀」の調査も進行

市は、敵の侵入を防ぐための防御設備「竪堀」の調査も開始。岩盤に人工的に削られた「落ち込み」を確認し、幅が約8.5メートルであることが判明した。この竪堀は、斎藤道三の時代に造られ、信長の時代に埋められて現在の通路になったと推定されており、全長は約140メートルに及ぶ可能性もあるという。

中井名誉教授は、「規模としてはかなり大きい。2本になる可能性も十分ありうる。織田・豊臣の段階では、斜面移動を竪堀ではなく石垣で防御するように変化するため、竪堀を埋めたとみられる」とコメントした。

岐阜城の姿を更新する継続的な調査

岐阜市では、これまでの発掘調査で二ノ門や天守台周辺の石垣を確認するなど、山上部の解明を進めてきた。また、庭園を伴う「饗応の場所」が存在した可能性も明らかにしている。

柴橋正直市長は記者会見で、「毎年度、岐阜城の姿をアップデートしている。今後も調査を継続し、当時の岐阜城の姿に迫っていきたい」と述べた。

岐阜城跡は、金華山(稲葉山)に築かれた山城で、稲葉山城、井ノ口城とも呼ばれていた。美濃国を治めた斎藤道三の居城としても知られ、2011年2月に国史跡に指定された。山全体約209ヘクタールが史跡範囲となっている。

市は3月14日午前10時から、インターネットで岐阜城跡の調査結果などを報告する「オンライン説明会」を実施する予定だ。

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