千葉県四街道市の中心に佇む歴史的な小山「ルボン山」
千葉県四街道市の市街地の中心部に、ルボン山(別名・大土手山)という珍しい名称の小さな山が存在します。四街道市は千葉県のほぼ中央部の内陸に位置し、千葉市と佐倉市の間に広がる郊外都市です。JR総武線の四街道駅から北口を出て、松並木通りを歩き大日五差路の交差点で右折すると、わずか10分ほどで三角形の小山が忽然と姿を現します。これがルボン山であり、駅からのアクセスは非常に便利です。
砲兵射垜の跡と歴史的な解説板
山の麓には「砲兵射垜の跡」と刻まれた石碑と「大土手山」の解説板が並んで設置されています。「射垜」は「あむつち」または「しゃだ」と読み、弓や射撃の的を置くための山形の盛り土を意味します。解説板には、この地の歴史が詳細に記されています。
この場所は、佐倉藩士の大筑尚志が藩の砲術練習所として築いたものを基礎とし、明治6年(1873年)に教師として招聘されたフランスのルボン砲兵大尉が増築し、初めて砲術を伝習した射垜の一角です。射的場は南北3キロメートル、幅300メートルにも及び、明治19年には北端に陸軍砲兵射的学校が創立されました。その後、明治30年に四街道に移転し、射場は急速に拡張され、射垜はルボン台または大土手山と呼ばれるようになりました。
大正7年(1918年)5月には、皇太子が台上で射撃をご覧になるという栄誉ある出来事もありました。下志津原演習場は砲兵学校とともに拡大し、四街道の発展に大きく寄与しましたが、この射垜はまさにその始祖と言える存在です。昭和40年(1965年)に四街道町史蹟保存会と陸軍野戦砲兵学校遺跡保存有志一同によって建立された石碑は、由来ある遺跡の消滅を惜しみ、その歴史を後世に伝えるために建てられました。
ルボン山の構造と展望
ルボン山の高さは約12メートルで、山頂へは一直線の71段の階段が設けられています。一気に上るとややきつい傾斜ですが、山の裏側には曲線状の階段もあり、複数の経路で登頂できます。山頂は展望台のように整備されており、いくつかのベンチと藤棚が設置されています。ここからは360度のパノラマで四街道市の中心街を見渡すことが可能です。
北側には平たんな下総台地の上に広がる住宅街が続き、かつて陸軍の下志津原演習場がルボン山の北方に位置していたことから、この山を標的にして大砲の射撃演習が行われた歴史があります。遠くには佐倉市のユーカリが丘の高層マンション群や筑波山も望め、景色の良さが特徴です。
ルボン山命名の感動的な史実
大矢敏夫氏の著書「ルボン山と町打場の物語」によれば、1912年(大正元年)9月にジョルジュ・ルボンが再来日し、明治天皇の大喪に列席した後に四街道を訪れました。彼自身が築造した小山の上に立って昔日を思い耽っているルボンの前に、陸軍野戦砲兵射撃学校の校長である河北大佐が「ルボン山」と記した木標を立て、ルボンを深く感動させたと伝えられています。この命名の瞬間は外国の新聞を通じて世界に伝えられ、ルボン山の名称が定着するきっかけとなりました。
軍郷四街道の戦争遺跡を巡る
ルボン山周辺には、陸軍野戦砲兵学校の石碑や、現在は愛国学園の正門として利用されている野戦重砲兵第四連隊の正門とその脇の石碑、四街道地名発祥の地を示す十字路の道標石塔など、多くの歴史的遺構が残されています。かつて「軍郷四街道」と呼ばれたこの街の貴重な戦争遺跡である小さな山は、フランス人ルボンの名とともに、後世に確実に遺されるべき文化的財産です。四街道市の中心に静かに佇むルボン山は、明治時代の軍事史を現代に伝える生きた証人として、訪れる人々に深い感慨を与え続けています。



