戦後80年を経てなお発見される「遺品拳銃」の実態
拳銃と聞いて、多くの人は暴力団の抗争や密輸入を連想するかもしれない。しかし、実際に日本国内で押収される拳銃の多くは、意外なことに遺品として発見されるものだ。安倍晋三元首相殺害事件で使われた手製銃が注目を集めたが、実態は大きく異なる。
暴力団関連を上回る遺品拳銃の押収数
長野県警が2020年から2024年までの5年間で押収した拳銃は37丁。その内訳を見ると、暴力団関係はわずか5丁に過ぎず、残る32丁はすべて遺品拳銃であった。県警幹部は「手製銃はほとんどなく、県内で見つかる銃はだいたい遺品だ」と明かす。
押収された遺品拳銃には、旧日本陸軍が開発した「南部十四年式」や、軍人が使用したとされるベルギー製の「ブローニング」などが含まれる。警察庁が2020年に統計を取り始めて以来、国内全体の遺品拳銃押収数は年間167丁から208丁の間で推移している。
祖父の遺品整理で発見された拳銃の衝撃
兵庫県在住の自営業、小菅晃樹さん(41)は昨年1月、さいたま市の実家で祖父の遺品整理中に拳銃と刀4本を発見した。警察に通報すると、刑事らが駆けつけ、身内に暴力団関係者がいないかなど4時間にわたる取り調べを受けた。拳銃には弾が装填されていたことも判明した。
小菅さんは「祖父の遺品を整理していて拳銃を見たとき、腰を抜かしそうだった。『人を殺す道具』と主張しているようで…」と振り返る。祖父は学徒出陣でフィリピンに出征し、戦後は埼玉大学教授として都市社会学の専門家となり、自治体に政策提言を行う名士だった。
明らかになった祖父の過去:中野学校出身者
しかし、警察からの連絡で驚くべき事実が明らかになる。祖父は旧日本陸軍で情報機関員を養成する「中野学校二俣分校」(浜松市)に在籍していたという。発見された拳銃は殺傷力の低い「コルトポケットモデル」で、日本銃砲史学会の折原繁事務局長は「情報機関員としての護身用だったのでは」と推測する。
折原さんは「戦時には筆舌に尽くし難いことも多々ある。従軍世代の多くは語らず、死後に拳銃が見つかることが多い。ましてや中野学校出身者なら、軍の機密に触れることは絶対にしゃべらなかっただろう」と指摘する。小菅さんの祖父は、自らの過去を身内にすら明かさず、戦後に新たな人生を歩み出していた。
満蒙開拓団との関連性
長野県の場合、遺品拳銃は満蒙開拓団との関連も指摘されている。同県は旧満州(中国東北部)に全国最多となる3万人以上の人々を送り出した。実際、県内で近年押収された拳銃には、戦前の中国大陸で流通していたドイツ製の「モーゼル」が含まれていた。
阿智村の「満蒙開拓平和記念館」によると、昨年末には「遺品整理をしていたら『満州事変』と刻まれた拳銃のようなものが見つかった」という匿名の問い合わせがあったという。三沢亜紀事務局長は、終戦時に満州には開拓団や民間企業社員など約155万人の日本人がいたと説明する。
日本銃砲史学会の小西雅徳常務理事は「中国大陸では日本国内より拳銃類の入手がしやすかった」と指摘。現地の軍閥系による横流しもあったとされ、抗日パルチザンの攻撃もある治安情勢を踏まえ「護身用として持ち歩いていた拳銃を日本に持ち帰った人もいたのでは」と見立てる。
戦争の記憶を伝える「負の遺産」
今の日本では考えもつかないが、少なからぬ一般市民が拳銃を手にしていた時代があった。拳銃自体は何も語らないが、「人を殺す/傷つける」という用途に、今こそ思いを巡らせるべきではないだろうか。戦後80年を経てなお発見される遺品拳銃は、戦争の記憶を現代に伝える「負の遺産」として、私たちに歴史と向き合う機会を与えている。



