鎌倉幕府滅亡の戦死者を弔う「泣塔」周辺の樹木520本が伐採され丸裸に
鎌倉幕府滅亡の際の古戦場とゆかりが深く、地元で「泣塔(なきとう)」とも呼ばれる供養塔を巡り、神奈川県鎌倉市は周囲に生い茂っていた樹木約520本を伐採したと発表しました。塔が立つ丘は市役所の新庁舎の建設予定地にあり、丘自体が崩壊の恐れがあるとの理由から実施されましたが、説明を受けた市議らからは「景色が変わってしまった」などと惜しむ声があがっています。
市指定文化財の供養塔が囲いに覆われ景観一変
周りの樹木が伐採され、囲いに覆われた市指定文化財の泣塔の様子は、2026年2月17日に神奈川県鎌倉市で確認されました。この供養塔は「石造宝篋印塔(せきぞうほうきょういんとう)」と呼ばれ、高さは203センチあります。南北朝時代の武将・新田義貞が1333年に鎌倉に攻め込んだ際の古戦場が近くにあるとされ、銘文には1356年の供養が記されています。これにより、戦死者の二十三回忌に建てられた可能性が指摘されています。
「泣塔」の名称の由来と地元の言い伝え
泣塔には、近くの寺に移した際にすすり泣く声がしたことから現地に戻され、「泣塔」と呼ばれるようになったという言い伝えが地元に残っています。この伝説は、塔が戦死者の霊を鎮めるための供養塔としての性格を強く印象づけており、歴史的・文化的価値が高いと評価されています。伐採前は樹木に囲まれた静謐な雰囲気がありましたが、現在はその景観が大きく変化しています。
市の説明と地元からの反応
鎌倉市は、新庁舎建設に伴い、塔が立つ丘の崩壊リスクを軽減するため、樹木伐採を実施したと説明しています。しかし、2026年2月25日に市議らが説明を受けた際には、伐採による景観の変化を惜しむ声が相次ぎました。地元住民や歴史愛好家からは、文化財の周辺環境が急激に変わったことへの懸念や、今後の保全策についての質問が寄せられています。
今後の展望と課題
伐採後、泣塔は囲いに覆われた状態で保存されており、市は新庁舎建設工事中も文化財の保護に努めるとしています。一方で、歴史的遺産と都市開発のバランスをどう取るかが課題となっています。地元では、伐採された樹木の再利用や、新たな景観整備の計画についても関心が高まっており、今後の動向が注目されます。
