岐阜・大垣まつり 姉妹が踊り子に初挑戦「疲れたときこそ本気」の言葉で奮起
城下町に初夏の訪れを告げる岐阜県大垣市の大垣まつり。370年以上の歴史を持ち、2016年12月に国連教育科学文化機関(ユネスコ)の無形文化遺産に登録されてから、今年で10周年の節目を迎えました。伝統を受け継ぎ、未来へつなぐ祭りを支えるのは、13両の軕(やま)を曳く10の町の人々の熱い思いです。
玉の井軕の華やかな舞台 ほとんどが未経験の児童たち
大垣市船町が曳く玉の井軕は、舞台で踊り子が披露する優美な踊りが見どころの一つ。今年は7歳から10歳までの女子児童6人が立ち、全員で踊る「大垣音頭」や「お城まつり」、一人ずつが披露する曲など、合わせて13演目を繰り広げます。
踊り子たちのほとんどが舞踊未経験。昨年10月から、日本舞踊元派立花流の立花寿美仁さん(40)と家元の寿美仲さん(73)に、踊りや所作を細かく指導されています。絢爛豪華な軕に引けを取らないよう、優美な所作や礼儀作法が求められ、お辞儀の高さや指先の伸ばし方まで、きめ細かな指導が続きます。
自分の番を待つ間は背筋を伸ばして正座。水分補給でお茶を飲むときは後ろを向くなど、その振る舞いは大人顔負けです。毎週2時間に及ぶ稽古では、憧れの舞台を見据え、芸の一つ一つを丁寧に作り上げています。
柳瀬姉妹の初挑戦 自宅でも毎日稽古に励む
柳瀬花翠さん(10)=興文小学校5年=と紅葉さん(8)=同3年=は、姉妹で踊り子に初めて挑戦します。自宅の居間では、幼い弟と妹が遊び回る中でも、毎日1曲を2回ずつ通して踊り、師匠から習った所作を体に染み込ませる努力を続けています。
姉妹で踊る「御所車」は、今年の玉の井軕で唯一の二人踊りとして、出番の目玉となる演目です。「2人で合わせるところは難しいけど、隣にいてくれるのは安心かな」と花翠さんが語れば、紅葉さんも深くうなずきます。
2人は新潟県で生まれ、父の芳仁さん(40)の故郷である大垣市に引っ越しました。芳仁さんは「自分が住む町を好きになってほしい」との思いから、花翠さんが4歳くらいのころから、自身も幼い頃から親しんだ祭りに2人を連れて行っていました。
祭りへの憧れが挑戦へ 忙しい日々の中での工夫
花翠さんは「夜宮がきれいで、普段と違うにぎやかな雰囲気が好き」と祭りに引かれ、同じ学年の友人が軕で踊る姿にも強い憧れを抱きました。自宅は町外の周辺地区ですが、出演の声がかかり、挑戦を決意。紅葉さんも「お姉ちゃんがやるなら私も」と、姉の背中を追うように参加を決めました。
ピアノ、ダンス、剣道、学習塾と、習い事で忙しい日々を送る姉妹。家族と声を掛け合いながら、踊りの時間を捻出しています。自宅のホワイトボードに紅葉さんが記した「疲れたときこそ本気」の言葉が、二人を奮い立たせる原動力となっています。
母の多瑛子さん(40)は「姉妹で一緒に踊らせてもらえるなんて、そうないこと。楽しみでしかたがない」と声を弾ませます。本番まであと半月。紅葉さんは残る時間で「練習をきちんとする」と力を込め、花翠さんは、かつて祭りに心動かされた自分を振り返りながら、晴れ舞台に立つ姿を思い描きます。
「私が前に思ったみたいに、『すごいな。私もこんなふうに踊ってみたい』って思ってもらえるように」――花翠さんの言葉に、伝統を継承する若き担い手の決意が込められています。
玉の井軕の歴史と魅力
玉の井軕は、商人町の船町らしく、欄干の繊細な彫刻や飾りなど、豪華な造りが目を引く軕です。赤坂の金生山で採れた石を運ぶ車を改造したのが始まりとされ、当初は赤面竜神など3体の人形が踊るからくり軕でした。しかし、江戸後期の大洪水で大破し、現在の踊り軕へと変化しました。長い歴史の中で形を変えながらも、地域の人々に愛され続ける伝統の軕です。



