奈良から世界へ、演劇プロデューサー出口最一の挑戦と母への恩返し
奈良県大和高田市出身の演劇プロデューサー、出口最一さん(年齢不詳)は、米ニューヨークで世界的なショー「ブルーマン」を成功に導き、故郷で亡き母への恩返しを果たした。その人生は、チャレンジと冒険に満ちている。
劇団四季を捨てて渡米、本物のミュージカルを求めて
出口さんが演劇の道に目覚めたのは、県立高田高校時代に映画「サウンド・オブ・ミュージック」を見たことがきっかけだ。歌と踊りと芝居の見事さに衝撃を受け、特に「全ての山に登れ」の歌詞に深く感銘を受けた。大学卒業後、劇団四季のオーディションに合格したが、次第に物足りなさを感じ、3年半で退団。27歳で単身渡米し、「生きるか死ぬかの覚悟」でニューヨークに挑んだ。
ブルーマンとの出会いと母の資金援助
ニューヨークでは、老舗劇団「サークル・レパートリー・カンパニー」で研究生として修行を積み、プロデューサーの素地を養った。渡米4年目、小さなキャバレーで「ブルーマン」のショーを見て衝撃を受け、プロデュースを申し出た。1991年11月、オフブロードウェーの劇場で公演を開始したが、客足が伸びず、1か月半で「閉めろ」と言われる窮地に陥った。
その時、母が家を担保に約1500万円を用意してくれた。この資金で続けた1か月が転機となり、口コミで爆発的人気を呼び、ブルーマンは世界的な成功を収めた。出口さんは「ラスベガスでの公演で客が大笑いし、『こんな楽しいショーは見たことない』と言ってくれた瞬間、涙が出た」と振り返る。
故郷奈良での恩返し公演
2022年秋、一時帰国した際、母の体調が悪化していることを知り、介護と看護に追われた。母は2024年秋に亡くなり、遺品整理を終えた昨年春、叔母から大和高田市の大中公園にある浮き舞台「桜華殿」を使った野外イベントの相談を受けた。
出口さんは「母への恩返しになる」と考え、ニューヨークに戻る予定を延ばしてプロデュースを引き受けた。テーマを「月に語り、月を謳う」とし、創作歌劇「かぐや姫」を含む公演を企画。日が暮れゆく二上山を背景に、たいまつで照らされた幻想的な舞台は、立ち見も含め約800人の観客を集め、大成功を収めた。
未来への展望
公演後、「もう1回やって」との声が上がり、出口さんは今年の舞台も計画中だ。「ふるさと奈良の世界への宣伝役も務めたい。ロンドンでのショーも企画したい。やりたいことがまだまだいっぱいある。人生は冒険であり、チャレンジだ」と語る。
出口さんはもと「出口一」という名前だったが、「左右対称の名前では真ん中で折れてしまう」と言われ、同じ読み方で「最」を加えて改名した。年齢については「まだ舞台に立つので、『不詳』で」と笑いながら答えた。



