「悶えは美なり」荻原碌山の生涯と芸術 安曇野の碌山美術館で情感あふれる作品を公開
「悶えは美なり」荻原碌山の生涯と芸術 安曇野の碌山美術館

「悶えは美なり」の言葉が刻まれた碌山館

新緑に映える教会風の建物、碌山館。正面には「LOVE IS ART, STRUGGLE IS BEAUTY(愛は芸術なり、悶えは美なり)」と英文で刻まれている。これは30歳で急逝した日本近代彫刻の先駆者、荻原碌山(本名・守衛、1879~1910年)が残した言葉だ。

碌山の生涯と作品

碌山は東穂高村(現安曇野市)出身。18歳の時、同郷で後に東京で「中村屋」を創業する相馬愛蔵・黒光夫妻宅で油絵に感動し、20歳で上京して画塾で学んだ。22歳から米国やフランスに留学し絵画を学んだが、フランスの彫刻家ロダンの「考える人」に衝撃を受け彫刻に転向。1908年に帰国した。

明治期以降の彫刻で重要文化財に指定されているのは6点。そのうち2点が碌山の作品だ。約5年ぶりに公開されている重文「北條虎吉像」は、東京で帽子商を営む兄に頼まれて制作した同業者の像。夫ある女性に思いを寄せる碌山に、兄が「目線をそらさず彫刻に向き合うべきだ」と制作を依頼したとも伝わる。

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黒光との関係

その女性とは、碌山を芸術の世界へ導いた黒光だったとされる。学芸員の武井敏さんは「真実は闇の中」としながらも、碌山のスケッチや油絵で黒光がモチーフとして描かれていると指摘。少なくとも、当時夫の不貞に悩んでいた黒光を「支えたいという思いがあったのだろう」と推察する。

黒光をモチーフにしたとされるもう一つの重文が「女」。碌山はこの作品完成後まもなくこの世を去った。

碌山美術館の設立と建築

碌山の作品は家族や友人らが守り続け、1958年、約30万人からの寄付を元手に碌山美術館が開館。建設には近くの穂高中学校の生徒が協力し、レンガや瓦、玉石を運んだ。

碌山館には、創設の中核を担った彫刻家笹村草家人による合掌する天使をモチーフにしたハンドルやキツツキ型のノッカーがあり、遊び心が感じられる。

碌山の作品が伝えるもの

碌山のブロンズ像は、偉人顕彰の手段として親しまれてきた。モチーフそっくりに表現することが通例だった時代に「碌山は、モデルの生命観を永遠に残し、生き様や内面性をどう伝えるかに腐心していた」と武井さん。しかし「早くして亡くなり、その影響が広がることもなかった」。

当初碌山の作品があった中村屋は関東大震災で影響を受け、安曇野の生家は火事で焼け落ちた。現存する作品は災害や災難をくぐり抜けてきた。武井さんは「残るべくして残ったという言い方もできる。情感のこもった作品は今でも人々の心を打つ」と話す。

碌山の信念

内奥の苦悩を芸術へ昇華させた碌山は、己の信念を次のようにつづっている。「蕾にして凋落せんも亦面白し/天の命なれば之又せん術なし/唯人事の限りを尽くして待たんのみ/事業の如何にあらず 心事の高潔なり/涙の多量なり 以て満足す可きなり」

美術館情報

碌山美術館は安曇野市穂高5095-1。3~10月は午前9時~午後5時10分、11~2月は午前9時~午後4時10分。入館は30分前まで。大人千円、高校生300円、中学生以下無料。5~10月は無休、それ以外は月曜休館(祝日の場合は翌日休み)。問い合わせは0263(82)2094。

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