中日2軍が使用した阿久比球場に名選手ボード、町長が再びドラゴンズ誘致へ公募立候補意向
中日2軍使用の阿久比球場に名選手ボード 町長が公募立候補へ

荒木、井端、岩瀬、宇野――。野球ファンなら誰もが知る往年の名選手たち。かつて中日ドラゴンズの2軍が本拠地として使用していた阿久比球場(愛知県阿久比町)には、当時の選手名ボードが今も残されている。ナゴヤ球場(名古屋市中川区)の老朽化に伴い、2026年から新たな2軍本拠地の公募が始まる。阿久比町に残る記憶をひも解く。

阿久比球場に残る選手名ボード

選手名ボードは縦90センチ、横60センチの木製で、白いペンキで選手名が記されている。また、縦150センチとやや大きい「近鉄」「ダイエー」といったチーム名のボードも残っている。当時は試合のたびにスタッフが枠にはめて使用していたという。

阿久比球場は1987年7月に開場し、1999年まで主に2軍ウエスタン・リーグの公式戦で使用された。年間約20試合が開催され、現在の中日1軍監督である井上一樹さんや、ルーキー時代のイチローさん(当時の登録名は鈴木一朗)らがここで経験を積んだ。2000年から2010年代にかけては、中日投手陣の秋季キャンプ会場としても活用された。

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球場建設の経緯

球場は名古屋鉄道(名古屋市中村区)の尽力により整備され、当時の「南知多総合開発局」が急ピッチで建設を進めた。局長を務めた大島弘さん(91歳、江南市)の手帳によると、1985年に担当者となってから約1年半、東海農政局に通い続け、1987年7月19日の球場開きにこぎ着けた。

当日は雨で、予定されていた中日対広島戦は翌日に延期され、5対5の引き分けとなった。球場に駆けつけ、スタンドを埋める観客を見た大島さんは「自分の心の中で達成感があった」と当時を振り返る。

ファンの記憶

小学生の頃、自転車で球場に通っていたという水野慎一さん(44歳、阿久比町)は、同姓の近藤真市投手からサインをもらった思い出を語る。試合では「神山一義選手がよくホームランを打っていた」と、力強い打球に熱狂したという。

神山さん(豊田市)は「高校時代を思い出すような土と天然芝の阿久比球場は好きだった」と懐かしむ。スタンドとの距離が近く、「頼むぞ!」と打席に声が届いていたという。

1993年に同球場でリーグ優勝した際には、神山さん自身も3試合連続本塁打を放った。当時の島谷金二監督を胴上げし、室内練習場で祝杯をあげた。

球場の思い出と現在

当時を知る球団関係者によると、球場のある「阿久比スポーツ村」には陸上競技場や宿泊可能なクラブハウスもあり「環境はよかった」という。子ども連れの選手たちが練習前にカブトムシを捕まえたり、潮干狩りに出かける車で渋滞が発生し、相手チームが試合に間に合わなかったこともあったと振り返る。

現在、球場は町が管理し、高校野球や社会人野球などアマチュア選手が日々練習に励んでいる。100枚以上残る選手名ボードは、施設内に展示するなど活用方法を検討中だ。

田中清高町長は「再びドラゴンズに戻ってきてほしい」と公募に立候補する意向を表明している。

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