日本サッカー協会は15日、2026年6月11日(日本時間12日)に開幕するサッカー・ワールドカップ(W杯)北中米3カ国大会に臨む日本代表26人を発表した。東海地方出身の選手たちも名を連ねており、「森保ジャパン」が目標とする優勝へ、恩師らは教え子たちの活躍を願っている。
鈴木淳之介選手(22)=デンマーク1部コペンハーゲン
初代表からわずか1年。あっと驚く急成長で、岐阜県各務原市出身の鈴木選手がW杯代表にまで上り詰めた。同県出身者のW杯代表入りは史上初。中学時代に指導した岐阜市のクラブチーム「岐阜VAMOS」の元代表、井上昭二さん(76)は「岐阜を代表して頑張ってきてほしい」と願う。
中学までは無名の存在だった。卒業前、Jリーグ・FC岐阜の下部組織の試験を受けたが落ちた。「ふざけてやっている子に流されるようなタイプでもなかったし、かといってそれを注意するでもない。淡々とやるべきことをやる子だった」と井上さんは振り返る。
同クラブ出身者が監督を務めていた縁で、岐阜・帝京大可児高校に進学。すると、丹念な努力で秘めた才能が開花した。Jリーグ湘南のスカウトの目にとまり、プロへの道がひらけた。
もともと中盤の選手だったが、DFに転向すると大きく飛躍した。プロ3年目の2024年6月にJリーグ初先発出場を果たすと、定位置の座を獲得。約1年後、昨年5月には初めて日本代表に名を連ねた。
持ち味は左右の正確なキックによる展開力とMFもこなせる器用さ。常々、「与えられたポジションでしっかりとやることをやる。それだけ」と語る鈴木選手。あこがれの舞台でも冷静なプレーで日本を支える。
菅原由勢選手(25)=ドイツ1部ヴェルダー・ブレーメン
初選出のDF菅原選手が、保育園の頃から通った愛知県豊川市のサッカークラブ「ASラランジャ豊川」の宮沢淳代表(45)は「親心的なところもあって、ほっとした」と顔をほころばせた。
候補だった東京五輪やカタールW杯は選外に終わった。「肝心なところで悔しい思いをしたことの方が多いはず」と想像しつつ、「でもいつ会っても彼は前向き。20年の時を経て(W杯の)舞台に立つ夢をかなえる姿を目の当たりにできたのは、何よりの喜びであり幸せ」と祝福した。
小学生のころの印象は「勝負師」。ポジションに関係なくゴール前に飛び込むなど、ゲームが動く好機を見逃さない嗅覚があった。切り替えも早く、試合に負けて泣いても、帰りの送迎バスでは海外サッカーの映像を食い入るように見た。宮沢さんは「彼はずっとサッカーを心から楽しんできた。勝ち負けはあるが、純粋に(W杯の)舞台も楽しんで」とエールを送った。
伊藤洋輝選手(27)=ドイツ1部バイエルン・ミュンヘン
「普通の中学生だった」。2度目のW杯となる伊藤選手が通った浜松市丸塚中で2年、3年のクラス担任だった坪井秀臣教諭(48)は振り返る。
「大人のようなボールを蹴る子が入学する」。入学時にそんなうわさを耳にした。当時から逸材と目され、U-15日本代表に選ばれた伊藤選手は代表合宿のため卒業式に参加しなかった。本人は公言しなかったが「プロの選手になる」という覚悟は普段の生活態度に表れていた。
久しぶりに卒業アルバムを開いた。「やっぱり、集合写真の真ん中にいた。何か引っ張っていくようなイメージはなかったけど、クラスの真ん中にはいる子だった」
伊藤選手の他にも運動神経のいい生徒がクラスに複数いた。「体育祭で洋輝はクラス代表として、みんなの嫌がる長距離を走った。そういう子だと覚えている。今は子どもに夢を与えられる、憧れの存在となった」。坪井教諭もその活躍を楽しみにする。
後藤啓介選手(20)=ベルギー1部シントトロイデン
W杯初選出の後藤選手は中学時代、J2磐田の育成組織でプレーする傍ら、学校ではバレーボール部に所属した。浜松市曳馬中で当時顧問の都築哲教諭(50)は「あの身長とあの運動神経ならバレーでも日本代表になっていただろう」と懐かしむ。
静岡県のバレー界では世代別日本代表候補に選ばれた後藤選手の3歳上の兄、佑介選手(現・東海リーグ岳南FモスペリオのGK)の方が有名だった。後藤選手はサッカーの腕前よりも「後藤の弟」として知られていた。
「啓介はサッカーばかり」と都築教諭。昼休みは雨でも毎日、校庭や屋根の下でボールを蹴っていた。191センチの身長に注目が集まるが、卓越したボールさばきを見てきたからこそ「ヘッドではなく、啓介らしい足元の技術を生かしたアシストが見たい」と話す。
夢を次々にかなえる教え子の姿はまぶしい。「映画の世界にいるような気分で見るんだろうな」と本番を前にわくわくしている。



