フォトジャーナリスト豊田直巳の証言:福島原発事故3日目、異常放射線量と無人の町
豊田直巳が語る福島原発事故3日目の異常放射線量と無人の町 (19.03.2026)

原発事故3日目、検問なき避難指示区域へ

フォトジャーナリストの豊田直巳氏は、東京電力福島第1原発事故発生から3日目の朝、東村山市の自宅を出発して丸1日をかけ、原発から数十キロ地点まで到達した。渋滞とガソリン確保に苦労しながらの移動だったが、取材仲間と合流し、放射性ヨウ素の取り込みを抑える安定ヨウ素剤を配布・服用した上で、国道288号線を原発目指して進んだ。

異常な放射線量と無人の町

原発周辺20キロ圏内には避難指示が出ていたにも関わらず、検問所も立ち入り禁止の看板も設置されていない状況だった。地震で傷んだ道路を通り、豊田氏は原発所在地である双葉町に入ることができた。

地震で崩落したJR常磐線の鉄橋付近で放射線量を測定すると、毎時6マイクロシーベルト以上という異常な数値が記録された。これは平常時の約0.05マイクロシーベルトと比較して、120倍以上の高線量に相当する。鉄橋のすき間を避難車両が通り抜け、頭上では入院患者を輸送する自衛隊ヘリコプターが低空飛行する中、深刻な状況が進行していた。

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完全に無人化した町の施設

豊田氏が近くの町役場を訪れると、建物内には誰もおらず、玄関先には町の給水車が放置されたままだった。慌ただしい避難の跡が明らかであり、基幹医療機関である双葉厚生病院も同様に無人状態だった。

病院の通用口前には複数のストレッチャーやベッドが捨て置かれており、豊田氏は戦時下のイラクやパレスチナでの病院取材を思い起こさせる光景だったと述懐する。さらに衝撃的だったのは、毎時1000マイクロシーベルトまで測定可能な線量計の針が振り切れたことである。

同行した取材仲間からは「念のための避難指示だというが、そんなレベルじゃない」との声が上がり、この瞬間から豊田氏の長きにわたる福島通いが始まることとなった。フォトジャーナリストとしての視点から、原発事故直後の混乱と危険を克明に記録した貴重な証言である。

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