大牟田空襲慰霊碑、市中心部の公園に移設 戦争の記憶を次世代へ
大牟田空襲慰霊碑、市中心部公園に移設 記憶継承へ

太平洋戦争末期に甚大な空襲被害を受けた福岡県大牟田市で、犠牲者の冥福を祈る慰霊碑が、三池山麓から市中心部の諏訪公園「文化交流ゾーン」に移設された。市民活動団体などでつくる「大牟田空襲の碑移設実行委員会」は「平和な社会の大切さを次世代に継承する碑にしたい」と願っている。

移設の経緯

実行委によると、三十数年前、大牟田市で平和活動を行う市内外の13団体が参加して平和展を開催。終了後、約1300人が犠牲になった大牟田空襲の慰霊碑を建立する動きが起きた。市民団体が市中心部で設置場所を探したが、話がまとまらず、市役所から約7キロメートル離れた普光寺が引き受け、1994年7月に境内の一角に建立された。

碑に刻まれた短歌

碑にはアララギ派歌人・山本和夫さん(1968年、68歳で死去)の短歌が刻まれ、短歌の横には、空襲後の市街地を撮影した写真の陶板がはめ込まれている。短歌は「空赤く燃えひろがれど 壕の中 寄れる亡骸を見きわめ難し」というもの。山本さんは、市街地の防空壕に避難していた妻(当時39歳)と次女(同13歳)、次男(同3歳)を空襲で失った。この防空壕では避難していた二十数人のうち11人が犠牲になったという。

Pickt横長バナー — Telegram用の共同買い物リストアプリ

新しい設置場所

諏訪公園の文化交流ゾーンには、レクリエーションやイベントが楽しめる広場や、自然生態園、花園、「核兵器廃絶平和都市宣言」のモニュメントなどがある。実行委は、高齢者も訪れやすく、多くの市民に見てもらえる諏訪公園に移し、戦争の記憶を市民全体の共有財産にしたいという願いから、管理する市に移設を打診。今年2月からは、移設費などに充てるための寄付を募り、目標の100万円を上回る約150万円の浄財が寄せられた。

今後の管理

設置場所について、市と「大牟田の空襲を記録する会」が10年間の無償貸与契約を結び、維持・管理は同会が負担することになった。契約は10年ごとの更新になるという。同会の藤木雄二会長は「大牟田市との連携を深めて、戦争・空襲体験が次世代に継承されるよう活動していきたい」としている。

Pickt記事後バナー — 家族イラスト付きの共同買い物リストアプリ