元参院議員・大塚耕平氏が心不全で死去 政界関係者が早すぎる死を悼む
元参院議員の大塚耕平氏(66)が3月2日、心不全のため亡くなりました。政策通として広く知られ、政権交代可能な政治の実現を一貫して目指してきた大塚氏の突然の死に、政界関係者やゆかりの人々が深い悲しみと惜別の念を表明しています。
国民民主党・古川元久代表代行が涙ながらに追悼
国民民主党の古川元久代表代行(党愛知県連代表)は5日、国会内での党会合で涙ながらに語りました。「大塚さんを政治の世界に誘ったのが私です。24年余り、苦楽をともにしてきました。党を大きくして、我々が日本の国をリードしていく。その役割を果たしていくことが恩返し、ご供養になるんじゃないかと思います」と述べ、盟友の死を悼みました。
日本銀行出身の政策通 国政で活躍
大塚氏は名古屋市出身で、愛知県立旭丘高校、早稲田大学政治経済学部を経て日本銀行に入行しました。2001年の参院選愛知選挙区で、民主党から出馬して初当選を果たします。民主党政権では内閣府副大臣や厚生労働副大臣を務め、政策立案に手腕を発揮しました。
その後、民進党、国民民主党と所属政党は変わりましたが、一貫して自民党に代わる政治勢力の結集を目指し続けました。国民民主党の玉木雄一郎代表も自身のX(旧ツイッター)で「野党再編の荒波を共に乗り越えてきたかけがえのない戦友であり尊敬する先輩でした」と追悼の意を表しています。
秘書や地方政治家も深い悲しみ
秘書を12年間務めた黒田太郎前県議は「日本をより良く変えていこうとの熱い思いに打たれ、秘書にしてもらいました。仕事に厳しく、自分に厳しい人でした。悲報に言葉を失っています」と語り、大塚氏の人柄と信念を偲びました。
古川氏が「本当は最初から市長をやりたいという話だった」と振り返った通り、大塚氏は2024年11月、満を持して名古屋市長選に挑みました。国政与野党の支援を受けて戦ったものの、惜しくも敗れています。
広沢一郎名古屋市長や大村秀章知事も哀悼
広沢一郎名古屋市長は「印象的だったのは、河村(たかし)前市長の評価について『人の悪口を言いたくない』とおっしゃった人柄です。ただただ、ショックです」と静かに語り、大塚氏の品格を称えました。
日本銀行時代から親交のあった大村秀章愛知県知事は「愛知を日本一元気な県にするとの共通の目標に向かって共に邁進し、的確なアドバイスとともに本当に力強くご支援いただきました。謹んで哀悼の意を表し、心からご冥福をお祈り申し上げます」とするコメントを発表しました。
政界に大きな足跡を残した大塚耕平氏の死は、多くの関係者に深い悲しみをもたらしています。政策通としての確かな手腕と、野党再編に向けた情熱は、今後の日本政治においても記憶され続けることでしょう。
