ハンセン病回復者の遺骨1万6600柱、家族の元に帰れぬ現実 差別根強く「らい予防法」廃止30年
ハンセン病遺骨1万6600柱、家族帰れぬ 差別続く現状

ハンセン病回復者の遺骨1万6600柱、家族の元に帰れぬ現実

ハンセン病の回復者が暮らす全国14の療養所には、1万7000柱を超える遺骨が安置されています。その多くは、家族の元に帰ることのできない遺骨です。患者の強制隔離を定めた「らい予防法」が廃止されて、4月1日で30年を迎えます。国は支援策を設けているものの、遺骨の引き取りはほとんど進んでおらず、差別や偏見が根強く残る現状が浮き彫りになっています。

隔離政策が生んだ苛烈な偏見と差別

隔離政策は約90年間にわたって続き、患者だけでなく家族への苛烈な偏見や差別を生み出しました。患者の存在を隠し通すために、遺骨を引き取れない家族も少なくありません。厚生労働省の調査によると、14療養所の1万7822柱(昨年6月時点)のうち、約1200柱は家族らが分骨して一部を引き取っていますが、納骨堂だけに安置されている遺骨は約1万6600柱に上っています。

沖縄県大宜味村では、奥間さんが両親の仏壇前で、父の証言を手に、遺骨を引き取れなかった無念を語っています。このようなケースは全国で繰り返されており、歴史的な過ちが現代にも影を落としています。

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療養所の納骨堂に並ぶ白い骨つぼ

66人が暮らす国立ハンセン病療養所・長島愛生園(岡山県瀬戸内市)の納骨堂には、白い小さな骨つぼが整然と並んでいます。多くが引き取り手がなく、園内に安置された遺骨です。1930年の開所以来、園で亡くなった入所者3803人のうち、3755柱が年代順に並び、昨年納められた遺骨もあります。

入所者自治会長の中尾伸治さん(91)は、わずかに空いた棚のスペースを見て、「予防法が廃止された後も遺骨の引き取りは少ない。入所者全員は入れんかもしれんな」とつぶやきます。納骨堂が造られたのは1934年で、引き取られた遺骨がその後捨てられていたとわかったことがきっかけでした。

「無らい県運動」と患者への迫害

ハンセン病は、末梢神経や皮膚が侵される感染症です。感染力は極めて弱いものの、顔や手足の変形が起きることもあるため、古くから差別や迫害を受けてきました。戦前・戦後には、患者を地域から排除する「無らい県運動」が展開され、住民までもが競って“疑わしき患者”を保健所などに通報しました。

入所者は断種・堕胎を強いられ、多くが子どもを持てませんでした。こうした状況下で、家族の元に戻ることができない遺骨を安置するため、全国の国立療養所には全て納骨堂が設けられました。

療養所ごとに異なる事情

療養所ごとに事情が異なります。カトリックの布教で断種・中絶を強いられず子どもを持つことができた奄美和光園(鹿児島県)など、多くの遺骨が引き取られている療養所がある一方で、亡くなった人の9割以上が納骨堂で眠る療養所もあります。

国立初の療養所として全国の患者が収容された愛生園では、1988年の架橋まで離島だったことも重なって家族との交流が難しく、ほとんどが納骨堂で眠っています。このように、地理的要因や歴史的背景が複雑に絡み合い、遺骨の帰還を阻んでいるのです。

「らい予防法」廃止から30年が経過した今も、ハンセン病回復者とその家族への差別は解消されていません。遺骨の引き取りが進まない現実は、社会全体が過去の過ちと向き合い、和解への道を模索する必要性を強く示しています。今後も継続的な支援と啓発活動が求められるでしょう。

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