秀吉生年「天文6年」説を裏付ける史料、福井で原本公開
NHK大河ドラマ「豊臣兄弟!」で注目を集める戦国時代の天下人・豊臣秀吉。その生まれ年として有力視される「天文6(1537)年」説を裏付ける史料が、福井市の県文書館で公開されている。この史料の原本が公開されるのは全国初とみられる。
史料「伊藤秀盛願文写」とは
公開されているのは「伊藤秀盛願文写(いとうひでもりがんもんうつし)」。2024年に文書館に寄贈されたもので、1590(天正18)年12月、秀吉の家臣・伊藤秀盛が岐阜県石徹白(いとしろ)地域にある白山中居(ちゅうきょ)神社の神職に宛てた文書の写しだ。内容は豊臣家の武運長久などを祈願するよう依頼するもの。文中に「関白様 酉之御年(とりのおんとし) 御年五十四歳」と記されており、当時の秀吉が酉年生まれの数え年54歳であったことがわかる。逆算すると、誕生年は天文6年の酉年となる。
従来の二説と史料の意義
従来、秀吉の生まれ年は申年の天文5年説と酉年の同6年説が併存してきた。この史料は1969年に刊行された岐阜県史で翻刻が紹介され、その後、歴史学者の桑田忠親氏が1974年に発表した研究ノートによって「6年説」を裏付ける有力な史料として広く知られるようになった。
桑田氏ら研究者の間では、秀盛は古くから秀吉に仕え、主君の年齢を誤る可能性は低いと考えられている。また、神仏への願文という性質上、正確な記述が求められ、秀吉の正妻の寧々や側室の茶々の年齢を「覚えていない」と正直に記していることも、かえって真実性が高いと評価されている。
展示概要と関係者のコメント
同館の長野栄俊副館長は「近年刊行された秀吉伝の多くで、この文書が紹介されている。ぜひ実物を見てほしい。あわせて福井県と縁の深い石徹白にも関心を持ってもらえたら」と話した。
展示は27日まで。観覧無料。



