音楽プロデューサーであり、日比谷音楽祭実行委員長を務める亀田誠治氏が、自身のプロデビュー前後の貴重な体験を語る。プロになれずに大学を卒業した当時、内心「ああ、やばい」と焦りを感じていたという。しかし、その後に待っていたのは、想像以上に充実した日々だった。
バンド仲間のデビューが転機に
大学卒業後、プロへの道が閉ざされたかに思えた亀田氏だが、バンド仲間をプロに引き抜いた音楽業界の人物から「(その仲間の)デビュー曲をレコーディングするから遊びに来なよ」と声をかけられた。これを機に、亀田氏はスタジオに通い始め、プロの仕事を間近で学ぶ機会を得た。
友人たちは「屈辱じゃないか」「おまえ、そんな扱いされていいのか」と心配したが、亀田氏は「プロになって、いい音楽をつくりたいなら、現場に行くのはやっぱり楽しいな」と前向きに捉えていたという。
現場での役割拡大
スタジオに通い続けるうちに、次第に「亀ちゃん、お願い」と雑用を頼まれるようになり、やがて「亀田君、コーラスパートを考えてくれる?」など、音楽制作に関わる仕事も増えていった。この経験が、後のプロデビューに大きく貢献することになる。
25歳でのプロデビュー
そうした努力が実を結び、アイドルグループCoCoの楽曲に自身の作曲が採用された。同時期に、シンガー・ソングライターとしてブレイクした崎谷健次郎氏のバックバンドのベーシストにも起用され、25歳にして作曲・編曲とベーシストの両方でプロデビューを果たした。
思い出のスタジオ
CoCoのレコーディングが行われたのは、市ケ谷にある有名な「一口坂スタジオ」。実際に訪れて初めて気付いたのは、そのスタジオが中学時代に通っていた進学塾の隣のビルだったことだ。その後も何度もレコーディングに使用し、多くの思い出が詰まった一口坂スタジオは、現在はもう存在しない。
亀田氏は、この経験を通じて「プロの現場に飛び込むことの大切さ」を学んだと振り返る。日比谷音楽祭の実行委員長としても、その精神を次世代に伝えている。



