つげ義春氏を悼む「ねじ式」は魂を持っていく…伝説の漫画家の芸術的遺産
つげ義春氏を悼む「ねじ式」は魂を持っていく

伝説の漫画家つげ義春氏を悼む

漫画家のつげ義春氏が3日、88歳で死去した。1960年代後半に漫画雑誌「月刊漫画ガロ」で発表した一連の作品群は、漫画表現に新たな地平を切り開き、その文学的で芸術的な作風は国内外で高い評価を受けてきた。いわゆる「伝説の漫画家」の逝去を受け、編集者の松田哲夫氏(78)と漫画家の近藤ようこ氏(68)が追悼の思いを語った。

松田哲夫氏が振り返る「奇跡の2年」と寡作へのこだわり

松田氏が初めてつげ氏と出会ったのは1968年、大学生時代に「月刊漫画ガロ」の編集部に出入りしていた頃だという。つげ氏が「李さん一家」「紅い花」「ねじ式」などの作品を同誌に発表した1967年から68年は「奇跡の2年」と呼ばれ、まさにその作品群を描き終えた時期だった。

精神的な衰弱から九州へ逃避した後、決意を新たに東京へ戻ったつげ氏は、まず編集部を訪れた。場末の温泉地でストリッパーと交わした淡い恋愛の話を聞かせてくれ、大人としての風格を感じたという。

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翌年、松田氏は嘱託として筑摩書房に入社。漫画全集「現代漫画」の『つげ義春集』(1970年)を担当し、編集者としての付き合いが始まった。その拡大版『現代まんが全集』(1978年)では、つげ氏の巻の見本を持参した翌日に筑摩書房が倒産(その後再建)したことを申し訳なく思っている。印税も凍結されたが、つげ氏は「筑摩の人たちは大丈夫かな」と心配する優しい人柄だった。

松田氏が特に好きな作品の一つが「ねじ式」だ。「普通つまらないはずの他人の夢の世界に、魂を持っていかれたようになる。発表時に読んで驚いたものです」と語る。

貸本漫画家としてくすぶっていたつげ氏が、ガロに転じて「奇跡の2年」の作品群を描けた背景には、1966年から水木しげる氏を手伝った経験が大きい。水木氏の細密な背景に人物を描く手法を通じ、頭に浮かぶイメージを作品化する技術を磨いた。

1970年代から何度もつげブームが起き、「ねじ式」などは数え切れないほど再録された。しかし、本人は心身の不調もあって寡作になり、1985年からの「無能の人」シリーズは完成度が高いものの「奇跡の2年」を超えることはなかった。1987年の「別離」を最後に新作を発表することはなく、水木氏からは「怠け者ですよ」と冗談交じりに言われることもあった。

つげ氏は高いレベルに達しないと作品を発表すべきではないと考えていたようだ。インタビューでは毎日机の前に座っていると答え、頭の中では常に創作を続けていた。自身の病気と真摯に向き合い、逃げずに強く生きたが、本当は世捨て人的な生き方を望んでいたのかもしれない。

人前に出ることを好まなかったつげ氏が、水木氏の「お別れの会」(2016年)に出席した時が最後の対面となった。「今はあの世で『怠け者』をやっているんですかね。ご冥福をお祈りします」と松田氏は語った。

近藤ようこ氏が語る唯一無二の技術と影響

漫画家の近藤ようこ氏は、長く漫画の仕事をしていなかったつげ氏について、表現が多様化する漫画界において象徴的で唯一無二の存在だったと評する。

高校生だった1973年頃、出版社に直接注文して『つげ義春作品集』を購入したのがつげ作品との出会いだった。それまで少年・少女漫画しか読んでいなかった近藤氏には全く異質な世界に感じられ、「漫画でこういうことをやってもいいんだ」と衝撃を受けた。

例えば「ほんやら洞のべんさん」はドラマチックではないが、人間の微妙な心理を描いており、小説家が書くような内容を漫画で表現していると思ったという。

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「影響は多大で、遺伝子レベルで受けている気がします」と近藤氏は語る。他の漫画家も自覚がなくてもつげ氏の影響を受けている人は多く、自身の作品とつげ氏から受け継いだ要素はもう分けられないほど融合していると感じる。

最も有名な「ねじ式」について、つげ氏本人は「昼寝してみた夢を描いた」と語っていたが、近藤氏はつげ氏が韜晦(とうかい)を好む方なので、実際にはかなり計算され、考え抜かれて描かれた作品だと指摘する。

「長八の宿」も好きな作品の一つだ。特に事件が起きるわけではない平和なストーリーだが、登場人物のキャラクターを巧みに立てて淡々とまとめており、漫画家として自分に描けるか考えると非常に難しいと感じる。「ねじ式」とは全く異なる意味で、技術的に「巧い」作品だという。

「別離」では、主人公が自殺未遂をするシリアスな物語の中に、東京ぼん太の「夢もチボーもない」というギャグを挿入する技術に感動した。なぜここでこんなギャグを入れるのかと思うが、その感覚がとても大人らしいと感じた。

新潮文庫の『義男の青春・別離』で解説を書いた際、刊行後間もなくつげ氏からお礼の手紙をもらった。非常にきれいな字で、最初は女性からの手紙かと思い、封筒を裏返すと「つげ義春」と書かれていたので驚いたという。「本当に丁寧な方なんだと、感激しました。家宝です」と語る。

つげ氏は他の漫画家と食事をしたこともあるが、緊張しすぎて多くは覚えていない。近藤氏はつげ氏を漫画の幅を広げた天才と評し、それまでの子ども向け漫画とは異なる新たな広がり方を見せ、漫画界の裾野を拡大した功績は大きいと強調する。

「つげ先生の影響を受けた漫画家たちが今、新しい作品を描いていっているのかもしれませんね」と近藤氏は結んだ。