美術史家・山下裕二氏、つげ義春を「雪舟や若冲よりも大切な存在」と語る
美術史家で明治学院大学教授の山下裕二氏が、マンガ家・つげ義春さんの訃報を受けて深い喪失感を語った。つげさんは2026年3月3日に逝去され、山下氏は半世紀にわたる敬愛の念を振り返りながら、その芸術的価値を強調している。
展覧会閉幕直後の訃報に衝撃
山下氏は、東京・調布市文化会館で開催された「つげ義春のいるところ展」に協力していたが、その展覧会が閉幕した直後に訃報が届いた。つげさんはまさに展覧会の会期中に亡くなられており、山下氏は「とてつもない喪失感に苛まれている」と心境を明かした。
高校時代の出会いが運命を変える
山下氏がつげ義春のマンガと初めて出会ったのは、昭和51年(1976年)の春休みのことだった。当時広島に住む高校2年生だった山下氏は、九州一周の修学旅行の最終日、宮崎から広島に帰る寝台夜行列車に乗る予定だった。
しかし旅行会社のダブルブッキングにより寝台が取れず、夜行列車のデッキで体育座りをしながら、わずかな灯りを頼りに『ねじ式』と『紅い花』の2冊を読んだ。この極限状況での体験が、山下氏を「つげ義春マニア」へと変えるきっかけとなったのである。
半世紀にわたる敬愛の軌跡
その後、山下氏は広島の古書店で『つげ義春作品集』(青林堂)を入手し、高校3年の夏休みに初上京した際には神保町の高岡書店でつげ義春関連の本を大量に購入した。
大学生・大学院生時代には、寝苦しい夜に「ねじ式」「紅い花」「ゲンセンカン主人」「李さん一家」などの作品を何百回も繰り返し読んだ。山下氏は「つげ義春は雪舟、等伯、若冲といった日本美術の巨匠たちよりも、私にとって大切な存在だ」と語り、その芸術的影響力の大きさを強調している。
日本美術史におけるつげ義春の位置づけ
山下裕二氏は、つげ義春の作品が持つ独自の表現世界が、従来の日本美術史の枠組みを超えた価値を持つと指摘する。その作風は単なるマンガの域を超え、文学性と視覚芸術の融合として高い評価を受けている。
「つげ義春のいるところ展」の大盛況は、彼の作品が時代を超えて多くの人々に受け入れられている証左であり、日本文化におけるその重要性を改めて浮き彫りにしたと言えるだろう。



