自伝的小説やユーモアに満ちたエッセーで知られる作家の佐藤愛子(さとう・あいこ)さんが4月29日、老衰のため死去した。102歳だった。大阪市出身。葬儀は近親者のみで行われ、喪主は長女の杉山響子さんが務めた。故人の遺志により、お別れの会は開かれない。
波瀾万丈の人生と「憤怒の作家」
1923年、大衆作家の父・佐藤紅緑と俳優の母・三笠万里子の次女として生まれた。詩人のサトウハチローは異母兄にあたる。甲南高等女学校(現甲南女子中・高)を卒業後、1950年に同人誌「文芸首都」で本格的に執筆活動を始めた。1969年には、元夫の借金を抱えて奮闘した実体験を基にした小説「戦いすんで日が暮れて」で直木賞を受賞した。
自身の境遇や家族、社会に対する率直な怒りをユーモラスに描く筆致から「憤怒の作家」と呼ばれた。エッセーの名手として知られ、痛快な文章は「愛子節」と称され、幅広い読者に親しまれた。晩年は認知症を公表し、老いを明るくつづった。2016年刊行のエッセー集「九十歳。何がめでたい」をはじめとするシリーズは、累計発行部数が180万部を超えるベストセラーとなった。2026年4月に刊行した響子さんと孫の杉山桃子さんとの3代にわたるインタビュー集「ぼけていく私」が最後の本となった。
ユーモアあふれる「愛子節」の原点
佐藤愛子さんは、死を意識しながらも筆の力は衰えを見せなかった。世の中の理不尽に腹を立てながらも明るく笑い飛ばす「愛子節」について、そのユーモアの源泉を尋ねられた際には「あまりにも過酷な現実がありましたからね。耐えて乗り越えるには、面白くするよりしょうがなかった。防御本能みたいなものでしょうね」と笑って答えたという。
戦地から戻った最初の夫がモルヒネ中毒になり、20代半ばで離別。「一人で食べていくために」と小説を書き始めた。「経験を重ねることでしか書けるようにならないだろうと、勉強のために書きまくりました」と語っている。二度目の結婚も破綻し、元夫が作った多額の借金を背負い「また書いて書いて書きまくる生活になった」。作家だった父・佐藤紅緑の破天荒な生き方を見て育った影響もあるだろう。自身の人生で起きた想定外の体験をどこかで面白がりながら、人間の深みを感じさせる物語に変えてきた。
数々の受賞と晩年の功績
2000年には佐藤一族を描いた大河小説「血脈」で菊池寛賞、2015年には「晩鐘」で紫式部文学賞を受賞。2017年には旭日小綬章を受章した。中日新聞では2001年にコラム「紙つぶて」を半年間連載した。
91歳で出した小説「晩鐘」では、元夫をモデルにした。「彼とのことだけは、本当に今も分からない。分からないことがあるからこそ、ずっと書き続けられたんですよ」と、しみじみ振り返っていた。
「書く仕事は井戸端会議をしているようなもの」とも話していた佐藤さん。その筆ですべてを語り尽くし、準備万端で世を去った。読者への遺言をたくさん残して。



