「昭和の町」25周年、駄菓子屋の夢博物館館長が語るまちづくりへの思い
「昭和の町」25周年、駄菓子屋の夢博物館館長が語る思い

大分県豊後高田市の観光名所「昭和の町」が、2001年9月の誕生から今年で25周年を迎えた。中心施設の一つである「駄菓子屋の夢博物館」の小宮裕宣館長(78)は、地元の熱意に応えて福岡県から移住し、まちづくりに携わってきた。おもちゃへの思いやこれからの構想を語った。

おもちゃとの出会い

小宮さんは、父が福岡県職員だったが、借金しないと食費もままならない暮らしだったと振り返る。「友達は小遣いを何十円ももらっておもちゃを買っていたが、うちは5円ほしいと言うと母が困った顔をするので、めったに言えなかった」と話す。それでもいくらかためて、おまけのブリキのミニカーほしさにグリコを買い、「これが宝物で、畳の上を走らせて遊んだ。それが原点」と語る。

40歳くらいの時、福岡市の西新の商店街で妻と駄菓子屋を始めた。飾り付けを工夫すると、子どもが押しかけ大人気になったという。問屋や閉店した駄菓子屋を回ると売れ残った古いおもちゃがたくさんあり、駄菓子は利益が薄いが、おもちゃは欲しい人がいれば高く売れ、大量に仕入れるようになった。昭和の終わり頃のブームで、福岡県太宰府市の太宰府天満宮の参道の店におもちゃ資料館を構え、約5000点を並べた。

「シャッター通り」からの承諾

豊後高田で昭和をテーマにした市街地活性化の構想が持ち上がった時、地域の人々が視察にたびたび訪れた。博物館開設を誘われたが、「ひそかに昭和の町の商店街を見に行ったが、誰もいないシャッター通りで、これはだめだと思った」と当時を振り返る。それでも、商店街や商工会議所の人々が頻繁に視察やあいさつに来て、人間同士のつながり、信頼関係が生まれ、承諾したという。

博物館は、大地主の米蔵だった建物「旧高田農業倉庫」に入る。小さな入り口をくぐると高い天井の広い空間が広がり、客はまず声を上げて驚く。30万点以上のコレクションのうち、6万点を展示している。ブリキや木のおもちゃ、ミニカー、ソフトビニールの人形、メンコや塗り絵などの紙のおもちゃのほか、だっこちゃんなど一世を風靡したアイテムもある。有名コレクターの北原照久さんに、駄菓子屋のおもちゃでは日本一と評価されたという。

25年を経て、第2の夢博物館へ

「観光バスが100台押し寄せるような一時の盛況は去ったが、地域振興の成功例として全国的に知られるようになった」と小宮さん。多い年は町全体で約40万人、コロナ禍を乗り越え、昨年は約27万人が訪れた。

今後の構想について、「第2の夢博物館を計画している。これまでの展示は男の子のおもちゃが中心だったが、女の子も親しめるかわいさや、タイムスリップなど不思議な世界を味わってもらおうと考えている。ワクワクしているし、第2弾のロケットに火を入れて、50万人を目指したい」と語った。

小宮さんは福岡市生まれで、主に北九州市で育った。名古屋市で電気通信土木の会社に就職し、東名高速道路の開通に伴う工事の事故で生き埋めになり、救助されたこともある。その後、郷里に帰って家庭雑貨の輸入をしながら駄菓子屋を開いた。博物館オープン以来、単身赴任の生活で、趣味と仕事を兼ねて、今もおもちゃを集め続けている。