大正時代から続く豊橋の朝市、存続の岐路に立つ伝統の光景
2026年2月12日、愛知県豊橋市で長年親しまれてきた朝市が存続の危機に直面している。大正時代から続く五つの伝統的な朝市のうち、実に二つが現在休業中という状況が明らかになった。地域の歴史と文化を紡いできたこれらの市場は、現代の社会変化の中でどのような未来を描くことができるのだろうか。
戦後から続く朝市の歴史と現在の姿
豊橋市街地には、「一五の市」「二七の市」「三八の市」「四九の市」「六十の市」という五つの朝市が存在してきた。これらの市場は日付の下一桁に特定の数字が付く日に開催され、午前7時から10時頃まで営業する伝統的なスタイルを維持してきた。しかし現在、「二七の市」と「六十の市」の二つが休業状態に陥っている。
朝市の世話人を務める佐藤雅良さん(77)は、朝市の起源について「戦後の闇市が始まりで、現在の形態になったのはその後のことです」と説明する。佐藤さんは約50年前から妻の孝子さん(71)とともに、豊橋市内外の朝市で花を販売する商売を続けてきた。取材日に訪れた「四九の市」が開催される広小路通りでは、花や野菜、衣服、団子などを売る露店が並び、早朝から買い物客の姿が見られた。
「朝市はお客さんと直接話せるからいいんです」と佐藤さんは語る。「お客さんも気軽に話しかけてきて、地域の情報交換の場になっています。早朝に仕入れに行き、商売をするこのリズムが、実は健康の秘訣でもあるんですよ」と笑顔を見せる。
かつての賑わいと現在の衰退
しかし、佐藤さんが思い返す40年前の朝市は、現在とは大きく様相が異なっていた。当時は約40軒の露店が並び、客も大勢訪れて活気に満ちていたという。「昔は露店の場所取りでも競争があったほどです。でも、スーパーマーケットが増えるにつれて、朝市に来る人も出店者もどんどん減っていきました」と、佐藤さんは寂しげに語る。
現在、休業中の二つを除く三つの朝市には、常連店として佐藤さんの店を含むわずか7軒しか残っていない。新規出店者は1回千円で露店を構えることができる制度があるものの、最近はなかなか増えないのが実情だ。
地域の交流場としての価値と新たな動き
豊橋観光コンベンション協会の西村なぎささん(52)は、「六十の市」について「家庭菜園で採れた新鮮な野菜や、手作りのハンドメイド品なども売られていて、とても温かい雰囲気でした」と懐かしむ。朝市の将来像について、西村さんは「もともと観光客向けではなく、地域住民のための場所でした。観光地化して継続させるのは本来の姿とは違うかもしれません」と複雑な思いを語る。
一方で、朝市の伝統を継承しようとする動きも生まれている。「まちのやおや 八百雅」を営む山口雅史さん(48)は、「野菜が売られていない朝市は寂しいと思い、参加を決めました」と話す。山口さんが朝市に出店してから3年目になる。
さらに、休業中の「二七の市」が開催されていた松山公園(西松山町)の近くでは、前田南町神明社で「日曜朝市」を始める計画が進んでいる。同神社保存会の宮下孫太朗会長(78)が企画し、2026年3月22日に第1回を開催する予定だ。
「二七の市には特別な思い入れがあります」と宮下会長は語る。「3世代が自然に交流できる場をもう一度作りたい。お年寄りから子どもまで、誰もが気軽に立ち寄れる場所にしたいですね」と期待を込める。
豊橋朝市の詳細と開催状況
豊橋の朝市は以下のように開催されてきた:
- 「一五の市」:羽田八幡宮境内(花田町)で開催
- 「二七の市」:松山公園(西松山町)で開催(現在休業中)
- 「三八の市」:前畑通り(前畑町)で開催
- 「四九の市」:広小路通り(大手町周辺)で開催
- 「六十の市」:富本町・柱一番町で開催(現在休業中)
これらの朝市は毎月31日と正月期間は休業し、雨天時には露店が出ないこともある。大正時代から続く地域の伝統が、現代社会の変化の中で新たな形を模索している。