名古屋駅140周年「中山道ルートで名古屋とばし」は誤り?通説の真相を検証
名古屋駅140周年「中山道ルートで名古屋とばし」は誤り?

JR名古屋駅が2026年5月1日、開業140周年を迎えた。明治時代、政府が東京と関西を結ぶ幹線鉄道の建設を検討した際、旧中山道ルートが採用され、名古屋はとばされる可能性があったが、旧東海道ルートに変更された結果、誕生した――。駅の由来として鉄道好きに知られた通説だ。しかし、それは本当なのか。鉄道の歴史を探究する名古屋のNPOのメンバーが真相に迫った。

通説の内容と疑問

人工知能(AI)に「名古屋駅誕生の経緯」を問うと、ネット上の情報を引き合いに次のように答える。「名古屋駅は、明治時代の鉄道建設におけるルート変更と、当時のリーダーによる熱心な誘致によって誕生しました」。AIが示した説を要約すると、明治政府は当初、内陸部の中山道を通し、名古屋を経由しないルートを計画したが、山岳地帯の工事が困難で、太平洋沿岸の東海道ルートへと変更されて「名古屋とばし」が回避されたというものだ。

説の根拠はネット情報や書籍にみられる。「国鉄名古屋駅八十年史」には中山道から東海道への変更により「名古屋の新しい運命が約束づけられた」とある。

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ただ、名古屋駅近くの高架下に事務所を置くNPO法人「名古屋レール・アーカイブス」理事の稲見真一さん(72)はこの説に疑問を投げかける。「中山道ルートでも名古屋を通る計画になった。名古屋とばしはどのみちなかった」

公文書が示す真実

論拠は、国立公文書館が公開している明治18(1885)年の陸軍省の検討図。そこには岐阜県南部の加納からルートを南に延ばして名古屋を通り、多治見へと北上する中山道幹線鉄道の構想が描かれている。政府は当初、名古屋を経由しない中山道ルートを構想したが、山中で木曽川に橋を架けるなどの難工事を避けるため、名古屋へと迂回する案に変更されたとみられる。

最終的に政府は、幹線を東海道ルートに変更し、実際に敷設したが、仮に中山道ルートで敷設されたとしても、名古屋駅は幹線上の駅として建設される想定だった。

この名古屋経由の中山道ルートは元々、国鉄OBの井戸田弘さん(故人、岐阜市)が東京の国立公文書館に通うなどして2000年代に自費出版した計6冊の著書の中で触れられている。当初、通説を信じていた稲見さんは井戸田さんの著作を知って衝撃を受け、自ら1次資料に当たって調査を続け、名古屋駅の成り立ちを含めた成果を昨年、市民向けの講座で発表した。

NPOの活動と願い

稲見さんは「誤解されたままの歴史が通説になっている。正しい知識を広めたい」と話す。

NPOは、鉄道に関する資料の保存・活用を目的として2005年に発足した。背景に、愛好家が集めた資料が本人が亡くなった後に処分され、散逸してしまう危機感がある。事務所には収拾した書籍が2万点以上保管されている。理事長の服部重敬さん(72)は「二度と手に入らない資料が失われる事例も多く、せっかくの知識の蓄積が途絶えてしまう」と話し、保存・活用を継続する方法を思案している。

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