名古屋駅開業140周年 田畑から超高層ビルへ 人の思い刻む
名古屋駅開業140周年 田畑から超高層ビルへ

中部地方を代表する交通の要衝、名古屋駅が1日、開業140周年を迎えた。1886(明治19)年、初代の駅は田んぼが広がる場所で産声を上げ、今では地上51階、高さ245メートルのビルを備えた街のシンボルへと飛躍した。駅の歴史には、多くの人の思いが刻まれている。

蒸気機関車の汽笛とともに

蒸気機関車の汽笛が響いた86年5月1日。笹島地区で開業し「笹島ステンショ」と呼ばれた名古屋駅のにぎわいを翌日付の地元新聞は伝える。「折あしく雨(ふつ)たり晴(はれ)たりの天気なれども見物人は山を成す」と記された。木造平屋建ての駅舎には、人力車が控えていた。

東洋一の駅舎へ

3年後には東京と神戸を結ぶ東海道線が開通。中央線や臨港線の開通も続いて駅舎が手狭になり、1937(昭和12)年、北に約200メートルの現在の位置に新駅舎が造られた。鉄筋6階建ての威容は「東洋一」とたたえられた。

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駅に刻まれた人々の思い

駅近くで生まれ育った徳田耕一さん(73)は小学生の頃、駅舎にあった浴場「早川」に通った。なじみの駅員は日が暮れると「もう帰れよ」と諭してくれた。夜行列車で東京から来ていた男の子と仲良くなり、文通をしたことも。「古き良き人間の付き合いがあった」と懐かしむ。徳田さんは鉄道好きが高じ、専門ライターになった。

浴場は、新幹線の開業や夜行列車の減少で利用が減り、91年に廃止された。その年にJR東海に入社したのは現名古屋駅長の村瀬剛さん(57)。国鉄の分割・民営化によってJRが発足した4年後だった。最初の配属は名古屋駅。その後運転士になり、先輩から「列車は人生を運んでいる」と教えられた。人命が失われれば周りの人生も狂わせる。責務の重大さを感じ「生涯安全を守る仕事をしたい」と心に決めた。駅長になるという夢をかなえて戻った名古屋駅は超高層ビルになり、今年節目を迎えた。「気持ち良く出発し、安心して帰ってこられる場所であり続けたい」と話す。

JR東海社長の丹羽俊介さん(60)の初任地も名古屋駅で、思い入れは深い。進学先の東京から名古屋に帰省する時、新幹線から見える故郷の景色に「ほっとした」と振り返る。その景色は大きく変わり、地下ではリニア中央新幹線の工事が進んでいる。「東海道新幹線とリニアという大動脈の結節点となり、日本全体にとって役割は大きくなる」と、駅と周辺地域の発展に意欲を燃やす。

変化する街と変わらぬ願い

駅前にある称名寺は、駅の開業前から地域を見守る。住職の杉浦道雄さん(51)は街の急速な変化を実感する。現在はJR、私鉄、地下鉄など全ての路線を合わせた乗降客は1日100万人超。再開発による立ち退きで子どもたちの姿は減り、知り合いと擦れ違う機会も少なくなった。「人間関係が希薄になった」と寂しさを覚える。2018年からは寺の前でリニア工事が本格化し、寺も敷地の一部を提供した。リニアが開通した将来も「心が通っている街であってほしい」と願う。

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