故郷への思いを胸に新たな道へ 伝承館職員として第二の人生を歩む
東日本大震災とそれに伴う原子力災害によって故郷の福島県浪江町を離れ、現在は西郷村で生活する石沢孝行さん(58歳)が、38年間にわたって従事してきた自動車整備士の仕事を辞め、東日本大震災・原子力災害伝承館(双葉町)の職員として新たなキャリアをスタートさせました。「最後は故郷の力になりたい」という強い思いから、第二の人生を歩み始めたのです。
震災の経験を無駄にしない 伝承館での解説活動に情熱
「避難場所を日頃から確認しておいてください」。今年1月上旬、研修期間を終えたばかりの石沢さんが、展示に見入る来館者に語りかけていました。震災を知らない世代との認識の差を感じることもあるものの、「災害の経験を決して無駄にはしたくない」という強い信念を持って、館内で解説員としての役割を果たしています。
転職を考え始めたのは昨年8月頃のことでした。伝承館が解説員を募集していることを知人の職員から聞き、「これまでとは異なる形で古里に貢献したい」という思いが募りました。迷いもありましたが応募を決意し、採用が決まると翌日には当時勤めていた白河市の自動車整備会社に退職届を提出。10月から伝承館での勤務を開始しました。
自動車整備士としての歩みと震災による転機
自動車整備士となったのは20歳の時でした。生まれ育った浪江町川添地区で父の則行さん(86歳)が営む自動車整備店「石沢モータース」で、22歳からは父の事業を支えてきました。
しかし43歳の時、福島第一原子力発電所の事故により全町避難が決定。父の自動車整備店は廃業を余儀なくされ、郡山市や矢吹町への避難を経て、2014年には西郷村に居を構えることになりました。
民俗芸能「川添神楽」の継承に尽力
浪江町を離れた後も、故郷とのつながりを保ち続けたのが民俗芸能でした。30歳で加入した「浪江町川添芸能保存会」の活動は、避難先でも継続してきました。
同会が継承を担う川添神楽は、明治40年(1907年)頃に始まったとされています。正月には国玉神社に奉納した後、獅子神楽が民家を一軒ずつ巡り、無病息災を祈願する伝統がありました。
しかし震災後の避難生活により、約30人いた保存会のメンバーは散り散りになり、活動は一時休止に追い込まれました。会長を務める石沢さんは「伝統のリレーを自分の代で途絶えさせるわけにはいかない」と奮起し、2015年1月には福島市や二本松市などの仮設住宅で浪江町民らに神楽を披露して活動を再開させました。
「町民が泣き、笑い、様々な表情を見せるんです。民俗芸能には人を引きつける力があるのですよ」。今年の元日には、浪江町の請戸海岸で初日の出に合わせて舞を披露し、翌日にかけて県内各地で生活する町民の家を13軒巡りました。
伝承館での仕事を志した理由
石沢さんが伝承館での仕事を志した背景には、伝統芸能も震災の記憶も後世に伝えていくことが自分の役割だという確信がありました。「保存会の活動を続けていなければ、伝承館で働きたいとも思わなかったでしょう」と語ります。
被災地の現状について、「まだ住めない地域があるのか」「15年前の建物がそのまま残っているなんて」といった声が県内でも聞かれることに、関心が薄れているのではないかという危機感を抱いたことも、転身を後押しする要因となりました。
週5日、片道2時間の通勤を続ける日々
現在は週5日、車で片道約2時間かけて伝承館のある双葉町に通勤する日々を送っています。隣の浪江町では父の店の工場跡地がほぼ更地となりましたが、自宅の建物は残っています。将来的には故郷に戻りたいという気持ちも抱いています。
今後は、伝承館で語り部としても活動したいと考えており、「伝えたいのは命の大切さです」と、新たな仕事に対する意欲を明らかにしています。震災の記憶と伝統芸能の両方を守り伝える使命を胸に、石沢さんの第二の人生は続いていくのです。



