東京・三田の異形ビル「蟻鱒鳶ル」完成、建築家・岡啓輔の20年にわたるセルフビルドの挑戦
三田の異形ビル「蟻鱒鳶ル」完成、20年のセルフビルド挑戦 (20.03.2026)

東京・三田に異彩を放つ「蟻鱒鳶ル」、20年の歳月を経て完成

東京・港区三田の近代的な高層ビル群の中に、ひときわ異彩を放つ建築物がそびえ立っている。その名は「蟻鱒鳶ル(アリマストンビル)」。コンクリート塊を積み重ねたような武骨な外観は、上に向かうにつれて複雑さを増し、最上部には鉱物の結晶を思わせる突起が空へと伸びる。この独創的な4階建てビルは、建築家・岡啓輔さん(60)が自らの住居として、設計から施工までを一人で手がける「セルフビルド」で築き上げたもので、アントニ・ガウディの名建築に例えられ、「三田のサグラダ・ファミリア」とも呼ばれている。

20年余りの歳月をかけたセルフビルドの軌跡

岡さんは2005年11月から、仲間の力を借りつつも、主に自身の手でこのビルの建設を開始。2026年3月10日、行政の完了検査を通過し、建築基準法上の完成を迎えた。20年余りに及ぶ長い道のりを振り返り、岡さんは「まだやらなきゃいけないことはいっぱいある。窓の鉄サッシを塗って、内装も仕上げて完成ですね」と、ひょうひょうと語る。大仕事が区切りを迎えたにもかかわらず、先を見据える姿勢が印象的だ。

なぜ、自力でビルを建てようと思ったのか。その背景には、岡さんの建築家としての強い問題意識があった。福岡県出身の岡さんは、高等専門学校の建築学科を卒業後、住宅メーカーに就職したが、与えられた設計をこなす日々に疑問を感じた。現場に足を運ぶ機会がなく、建物を造る職人との「距離」を痛感したという。「小さな建物でも何十人と関わっているのに、建築家が全てをコントロールしているかのように建物が出来上がっている。いやいや、そんなに威張るこっちゃねえだろう、と」と当時を振り返る。

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妻の言葉がきっかけで始まった挑戦

会社を1年で辞めた後、岡さんはとび職や鉄筋工、型枠大工などの職人仕事を約10年間経験し、造る技術を学んだ。これは「現場を熟知し、現場とともに建物を造り上げる建築家」になるための修行だったが、セルフビルドを決意した直接のきっかけは妻の言葉だった。「あなたは1級建築士の資格も持っているし、職人仕事もできるんだから、土地を買って家をつくって暮らしましょう」という提案に、設計者と現場の隔絶を感じていた岡さんは、願ってもいない機会と捉えた。

2000年に三田の土地を購入し、5年間の模索を経て、2005年から思想を具現化する挑戦を開始。ツルハシとスコップで地下室を掘るだけで約1年を要するなど、一人での作業は難航したが、焦りはなかったという。「ぼく、心臓病を持っているんですけど、自転車で日本を2周くらい回ったことがあるんですよ」と語り、何事もこつこつやれば前に進む自信があった。

「造りながら考える」独自の手法

岡さんは、図面通りに建物が立ち上がる現代建築の対極として、「造りながら考える」手法を採用した。「まず下の方を造る。その上に立つと、地べたから見るより景色が良い。じゃあこっちに大きな窓を開けよう、とかね」と説明する。このプロセスにより、ビルは有機的な形状を帯び、躍動感のある吹き抜けや強烈な存在感を放つエントランスが生まれた。

また、コンクリートを固める木枠をビニールで巻く独自の方法も、個性を出すのに役立った。長年の職人仕事で化学物質の過敏症になり、防腐剤を使った木枠を使えないために考案した苦肉の策だが、木枠とビニールの間に物を挟むことで、コンクリートに模様を描けることを発見。表現の幅が広がり、ひらがなの文字が押し固められた壁など、独創的なデザインが生まれた。

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日本の建築のあり方に一石を投じる

コンクリート自体にも工夫を凝らした。通常より水分量を減らしたことで粘度が高く作業しにくいが、強度は格段に向上。見学に訪れた土木の専門家からは「これなら200年は持つ」と太鼓判を押されたという。丈夫なビルを目指した背景には、短寿命の建物を造っては壊す日本の建築のあり方に一石を投じたいという問題意識があった。

再開発エリアの真ん中に立つ「蟻鱒鳶ル」は、単なる住居を超え、建築家の思想と挑戦が凝縮されたシンボルとなっている。岡さんの20年にわたるセルフビルドは、建築界に新たな視点を提示し、持続可能な建築の可能性を問いかけている。