下北沢が「演劇の街」として発展した背景と歴史
多くの若者たちでにぎわう世田谷区の下北沢。狭い路地にライブハウスや古着店、カレー店などがひしめく独特の雰囲気が人気を集めていますが、同時に「演劇の街」としての深い歴史も持っています。この街からは数多くの役者が輩出されており、その歩みを振り返ることで、文化発信地への変貌の理由が見えてきます。
下北沢演劇祭と街の魅力
先月上旬、小田急線下北沢駅を降りると、ちょうど「下北沢演劇祭」が開催されていました。実行委員長の吉田国吉さん(90)によると、このイベントは1990年から始まり、今年で36回目を数える一大イベントです。毎年期間中には、約1万8000人の演劇ファンが街を訪れ、今年は28日までの期間中、地域にある10劇場で22作品が上演されました。
演劇文化が根付いた理由
なぜ下北沢に演劇文化が根付いているのでしょうか。吉田さんに尋ねてみると、下北沢は元々、東宝スタジオなどがある成城学園前駅へのアクセスが良く、俳優志望の人が多く住む土地柄だったとのことです。俳優の柄本明さんは今も下北沢に居を構え、西田敏行さん(2024年死去)も若い頃にこの街に住んでいました。現在も下北沢を拠点に活動する演劇関係者は多いようです。
本多一夫氏の貢献と劇場設立
吉田さんは「下北沢がどこにでもある街から、文化を発信する街へと変わっていったのは、『本多さん』のおかげだよ」と教えてくれました。その本多さんとは、下北沢や新宿で劇場を展開する「本多劇場グループ」のオーナー、本多一夫さん(91)のことです。
長男の慎一郎さん(50)によると、演劇好きだった一夫さんは、高校卒業後、本格的に演劇を学ぶために札幌市から上京しました。20歳の時に映画会社に所属し、その頃に住んでいたのが撮影所に近い下北沢だったそうです。役者としては大成しませんでしたが、知り合いのつてで下北沢で始めたバーが評判を呼び、事業を拡大。最盛期には都内で約50店舗を経営するまでになりました。
しかし、演劇への思いは捨てられず、38歳の時に下北沢駅前に約1500平方メートルの土地が売りに出されているのを知り、「若い人たちが自分の家のように好きな芝居をできる劇場を造りたい」と一念発起。飲食店を売って土地購入に踏み切ったのです。
本多劇場の特徴と影響
10年がかりで1982年に完成した「本多劇場」は総工費15億円。劇作家や俳優らの声を取り入れた造りで、壇上のすそを広げ、どの席からもステージがよく見えるように設計し、採算が取れるよう400近い席を設けました。「正直儲からない。好きな芝居でトントンなら幸せ」。こだわりの劇場のために8億円も借金したという一夫さんの口癖です。
この本多劇場からは、劇作家の野田秀樹さんや松尾スズキさんら多くの著名人が巣立っていき、いつしか下北沢は「演劇の聖地」と呼ばれるようになりました。「うちの劇場は、利用者の好きな色に染めて使っていただいている。これからも皆さんから愛される場所を目指していきたい」。慎一郎さんはそう目を細めます。
街の交流と新たな施設
下北沢に演劇を見に訪れる観客は、一晩で約1300人とも言われます。上演の終了後には、観客や舞台の関係者が、街の居酒屋やバーなどで、酒を飲みながら芝居について熱く語り合ったり、感想を述べ合ったりすることも多いです。
小田急線の地下化を機に長屋をイメージした商業施設「BONUS TRACK」は2020年4月にオープンしました。駅前でよく見かける大型商業施設ではなく、2階建てのこぢんまりとした建物で、下北沢の街に溶け込むような形で造られています。現在は13の飲食や物販の店舗などが入り、交流の場として利用される「広場」も設置されています。ここでは、鑑賞後に語り合ったり、仕事の息抜きをしたり、様々な人たちが集い、日々交流を深めています。
同施設を運営する散歩社の取締役の内沼晋太郎さん(45)は「下北沢には、演劇を始め、様々な個性あふれるものが集結している。この場所を通じて、多くの人が集い、新しいものを生み出すきっかけになれば」と話しました。
未来への展望
本多劇場の完成から44年。これからも下北沢の演劇文化は、この街に息づき続けるでしょう。街の独特な雰囲気と演劇の伝統が融合し、多くの人々を惹きつける文化発信地として、その魅力はさらに広がっていくことが期待されます。



