「練馬区と言えば、練馬大根」――区を取材する中で、何度も耳にした言葉だ。区の公式キャラクターも練馬大根がモチーフで、観光案内所には大根をあしらったグッズが並んでいる。さぞかし区内で多く生産されているのかと思いきや、その数は少ないのだという。一体、練馬大根とはどのような野菜なのか。
練馬大根の特徴
区によると、練馬大根は練馬地域で作られている白首大根系の一種。長さは1メートル近くに及び、首と下部が細く、「中太り」の形状が特徴だ。毎年9月頃に種がまかれ、収穫期は11~12月。辛みが強く、水分が少ないことから、たくあんや大根おろしなどに利用されている。
区都市農業課の丹羽亜弥さん(27)は「一般的な青首大根よりも地中深くに根を張るため、引き抜く力が3~5倍は必要だと言われている。収穫に手間がかかり、生産農家は限られている」と話す。区内の農業従事者のうち、練馬大根を栽培する農家は1割にも満たない20人余り。2024年度の生産量は約1万3000本で少数。販売先も地元の直売所や農業祭などに限られ、地元では「幻の野菜」とも呼ばれている。
歴史と復活の歩み
区立石神井公園ふるさと文化館の学芸員、渡辺嘉之さん(63)によると、江戸幕府の第14代将軍・徳川家茂が統治していた1800年代半ばに、練馬大根の種が江戸城に献上されていたことが、練馬の名主の帳面に記されている。江戸前期の1669年の農書には、既に練馬が大根産地として紹介されており、渡辺さんは「少なくとも江戸時代には、練馬大根の栽培が始まっていただろう」と推測する。
練馬地域の土壌は火山灰から出来た軟らかい黒ボク土で、細長い練馬大根の栽培に適している。一大消費地の江戸市中に近く、重要な供給地になっていた。明治期にも盛んに作られ、日清・日露戦争の時にはたくあん漬けが兵隊の保存食となり、生産が急増した。しかし、昭和初期の1930年代に干ばつや害虫が発生し、徐々に収穫量が減少。戦後は食生活の西洋化で、50年代には市場からほとんど姿を消し、キャベツへの作付け転換が進んだ。
転機は1989年。区が町おこしのために練馬大根を復活させようと考え、地元農家に生産を委託。その後、生産量は徐々に伸び、2011年には練馬大根をイメージした区の公式キャラクター「ねり丸」が誕生した。
生産者の思い
生産者の一人で、「ファーム渡戸」の農園主、渡戸秀行さん(59)は「先人たちは、今よりも貧弱な農業体制の中で、必死に練馬大根を作り続けてきた。そんな野菜を残していきたいという思いで育てている」と語る。約15年前から栽培を始め、地中深くまで耕せる専用機械を導入し、年間約1500~2000本を生産。農園で直売したり、地元飲食店に提供したりしている。「年代を問わず、練馬大根を買い求めてくれる人がいる。その人たちのためにも作っていきたい」と話す。
継承の取り組み
練馬大根を継承するため、地元のJA東京あおばと区が2007年から毎年12月に開催しているのが「練馬大根引っこ抜き競技大会」だ。収穫の難しさを逆手に取り、時間内に抜いた本数を競う「選手権の部」と、長さで争う「グループ参加の部」を設けている。毎回大盛況で、専用サイトで参加者の受け付けを始めると、昨年はグループ参加の部がわずか数分で定員の60組に達し、選手権の部も1時間で定員150人の枠が埋まった。
会場の畑では毎年約4000本が収穫され、小中学校の給食でも振る舞われている。JA東京あおば職員の矢作洋樹さん(46)は「練馬大根は栽培も難しく、年に1度しか採れない。普段当たり前のように食べている食材や農業に関心を持ってもらえたらうれしい」と期待する。区は練馬大根を普及させようと、種を区内の学校や区立施設で無料配布。小学生向けの教材も作成し、たくあん漬け体験なども行っている。
時代とともに幾多の変遷をたどってきた練馬大根。伝統野菜を守ろうとする思いは、練馬の地に根付いている。



