高浜虚子の武蔵野探勝会、第百回で最終回 鎌倉鶴ヶ岡八幡宮で吟行の歴史に幕
高浜虚子の武蔵野探勝会、鎌倉で最終回 吟行の歴史に幕

高浜虚子の武蔵野探勝会、第百回で歴史的な最終回を迎える

昭和14年(1939年)1月8日、鎌倉の鶴ヶ岡八幡宮において、高浜虚子(1874~1959年)が編んだ「武蔵野探勝」の第百回吟行会が開催され、これが最終回となりました。この会は昭和5年(1930年)8月から毎月第1日曜日に催され、俳句の作句法としての吟行を定着させた画期的な取り組みとして知られています。

鎌倉の神に詣でた初詣の感慨

「武蔵野探勝」の「鶴ヶ岡八幡宮初詣(第百回)――昭和十四年一月一日――」の回には、上林白草居(上林普)の句が収録されています。「相模の国鎌倉の神に初詣」という句は、虚子が武蔵野を「相模の国」と捉え、その土地の神々に年初に詣でた深い感慨を表現しています。実際の吟行は1月1日ではなく、1週間後の日曜日である1月8日に行われました。

天候の急変と俳句の神の意思

当日の天候は朝から好晴で春のような穏やかさでしたが、夕暮れには急に崩れ、霰が降り始めます。この様子を詠んだ「霙るゝや馬車を寄せたる車寄」(みつ子)という句も生まれました。虚子はこの天候の変化について、「天が俳句を作るものゝ為めに驕慢を戒めたものか、若しくは句作の材料を態々供給してくれたものか」と述べ、俳句の神様の意思をくみ取ろうと試みています。

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お膝元鎌倉での晩餐会の計画と延期

由比ヶ浜に自宅を構える虚子にとって、鎌倉はまさにお膝元の地です。主催者として、吟行に集った同人一行のために百回記念の晩餐会を催そうと考えましたが、元日に大人数で集まる適切な場所を確保することが叶わず、延期を余儀なくされました。

鎌倉海浜ホテルでの句作の情景

松の内を過ぎてから集った場所は、かつてのサナトリウム海浜院を改装した鎌倉海浜ホテルでした。当日は、暖をとるため八幡宮からホテルへと早めに移動し、宴までの間、ホールに陣取って句作に励む光景が見られたと伝えられています。この様子は、吟行が単なる散策ではなく、共同制作的な句作の場として機能していたことを示しています。

吟行の現代への影響と継承

現在、全国各地で吟行が盛んに行われており、勤務先の武蔵野大学でも季節ごとに吟行が催されています。俳句を嗜む人々が特定の場所を訪れ、散策しながら共同で句を作るこの手法は、武蔵野探勝会によって確立されました。つまり、吟行は武蔵野で始まり、現代の俳句文化に大きな影響を与え続けているのです。

武蔵野大学教授であり、むさし野文学館館長を務める土屋忍氏は、この歴史的な会合の意義を強調しています。高浜虚子のリーダーシップの下、武蔵野探勝会が俳句の世界に残した功績は、今日の吟行の隆盛に直接つながっていると言えるでしょう。

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