くたびれた宝物、父から受け継いだ辞書が教えてくれたこと
父から受け継いだ辞書、くたびれた宝物の思い出

小学生のころ、読めない字やわからない言葉があると、すぐに父に尋ねたものです。父は何でも知っていて、まるで生き字引のようでした。中学校に上がる際、父に連れられて大きな書店に行きました。そこで、大人になっても使える国語辞典と漢和辞典を買ってもらったのです。2冊を選ぶのに、父と二人で小一時間もかけてじっくりと選びました。

辞書と共に過ごした日々

それ以来、私は目につくあらゆる漢字や語句を調べまくりました。調べたものはノートに書き写し、辞典は常に手元に置いていました。教科書や本よりも辞書に向き合っている時間の方が長く、2冊の小口はすぐに黒ずんでいきました。辞書は私の知識の源であり、成長の証でもありました。

父を超えた瞬間

中学3年のある日、新聞を手にした父が「この字、何て読むんだ?」と聞いてきました。私はすぐに読み方を教え、さらに辞書を開いてその読みを示しました。父は「とうとう朋彦に字を教わるようになったかぁ」と笑いました。その瞬間、私は文字通り父を超えた気がして、優越感に浸りました。しかし、父を亡くしてから気づいたのです。あの一言を発した父は、間違いなくうれしそうだったと。きっと、1日も早くそう言える日が来るのを楽しみにしていたのではないでしょうか。その祈りを込めて、父は2冊の辞書を授けてくれたのではないかと。

Pickt横長バナー — Telegram用の共同買い物リストアプリ

かけがえのない宝物

あれから50年以上、私は国語科教師としてこれらの辞書を使い続けました。酷使により辞書はくたびれてきましたが、私の背骨を作ってくれたこの2冊は、決して買い替えのきかない宝物です。父の思い出と共に、これからも大切に使い続けていきます。

Pickt記事後バナー — 家族イラスト付きの共同買い物リストアプリ