筒井康隆91歳、初の本格的自伝で半生を振り返る
卒寿を超えてもなお旺盛な執筆活動を続ける作家・筒井康隆氏(91歳)が、ついに初の本格的な自伝「筒井康隆自伝」(文芸春秋)を出版した。これまで読書遍歴を綴った随筆や、名詞の羅列だけで子ども時代を描く型破りな自叙伝はあったが、本格的な自伝は今回が初めてとなる。
老人ホームでの生活と執筆への意欲
筒井氏は2年前に自宅で転倒し頸椎を痛めて以来、神戸市内の老人ホームで妻と共に暮らしている。車いすに乗り施設のパーティールームに現れた氏はにこやかで元気そうな様子だった。愛煙家として知られる氏は、喫煙者への「迫害」を風刺作品に昇華させてきたが、その姿勢は今も変わらず、1日に4、5本のタバコを嗜み、寝酒にはリキュールのコアントローを楽しんでいるという。
かつては「書く気はない」と発言していた自伝に臨んだ心境について、筒井氏は次のように語っている。「生まれてからの、いろんな記憶の断片が頭に残っている。筋道立ててどこまで追えるかやってみると、いいことも、嫌なことも思い出してきた。それでこれは書き残しておこう、と。一冊の本になるとは思っていませんでしたがね」
記憶の断片を具体的な描写で綴る
本書は「作家が自伝を書く限り、他人の言ったことの引用は禁じられるべきだ。そう思うからこの自伝は極力、自分が見聞きし体験したことに限っている」という宣言から始まる。感傷や心情の吐露ではなく、具体的な描写の数々が本書を貫いている。ハードボイルドの祖とも言われる米国作家ヘミングウェーからも学んだという乾いた文体が、自伝においても生きている。
幼少期の記憶は驚くほど鮮明で、「畑と塀の間の細道を歩いている時」といった地理や状況を詳細に書き込み、友の裏切り、大やけど、初恋などさまざまな出来事を関連人物のフルネーム入りで記している。筒井氏は「映像として記憶している。映像を見れば名前も出てくる」と説明する。
虚構と現実が交錯する「筒井ワールド」
しかし、幻惑される瞬間もある。人生の「最初の記憶」として、額の真ん中に眼が縦についている「蛇眼症の乞食を見た」という話が紹介されるが、実はこれは「あと記憶」で、動物学者だった父親の蔵書にあった絵のことらしいと明かされる。読者は虚構と現実が交錯する「筒井ワールド」に誘われるように感じるが、本人は至って真面目な表情で「一番鮮明な記憶ですから自信を持って書きました」と語る。
戦争体験とSF作家仲間との交流
戦争体験や江戸川乱歩との出会いなど、「筒井康隆」が形成されていく場面も矢継ぎ早に登場する。星新一氏ら、日本のSFをともに切り開いた仲間と過ごした青年時代のエピソードは美しく、「星さんは寂しがり屋でしたね」と回想する。
追求してきた「笑い」に関しては、ブラックユーモアの効いたドタバタ劇で知られるマルクス兄弟の映画のうち「我輩はカモである」を最高傑作とし、「わが目指す喜劇はこれであると思う」と説く。筒井氏は「常識を破壊する笑い、ですよね。常識すれすれを行く面白さもあるし、『こういう常識もあるんだぞ』と別の常識を示す笑いの取り方もある」と語る。
自伝にも漂うドタバタ劇の味わい
結婚のくだりなど、自伝自体にもドタバタ劇の味わいがある。「面白おかしく書く訓練はしてきましたから。同じ事柄でも、こう書いた方が読者は笑うというのはありますね」と筒井氏。そこにはラブレターのように、妻への愛情もあふれており、「ごく普通のことですよ。僕が愛妻家だっていうことは、他の連中がよく浮気してるからでしょ」と笑いながら語る。
文学とは何か? 大江健三郎氏の名を挙げて
取材の最後に、筒井氏にとって文学とは何かという問いを投げかけると、氏は真正面からは答えず、交流のあったノーベル文学賞作家・大江健三郎氏の名を挙げて言った。「大江さんは小説を書かなくなって、書いたものを読み返す時期が来たそうです。そういうことを考える時期があるんでしょうが、僕はまだそこまで行ってない」
自伝をまとめた今も、過去を総括する時期ではないようだ。「死に対しての覚悟はできていますが、老いはあまり感じていない。自作を読み返したら面白いんだろう、とは思うけど、とにかくたくさんあるんだよ。今の部屋には入りきらない」と筒井氏。今年も数冊の新刊を予定する91歳は、妻と介護タクシーに乗り、さっそうと外食に出かけていった。



