震災から13年、愛知で育まれた母親たちの絆が7年ぶりに再び結ばれる
東日本大震災の被災地から愛知県に避難した母親たちが友情を育んできた自主組織「めぐりあいの会」が、新型コロナウイルス禍による活動休止を経て、今春ついに7年ぶりの会合を開催する。見知らぬ土地で子育てや仕事の悩みを分かち合い、生活の再建に励んできた仲間たちが、15年の時の流れとこれからの展望について再び語り合う貴重な機会となる。
原発事故から逃れ、名古屋へ
「避難することになるとは全然考えていなかった」と語るのは、現在愛知県みよし市に住む小林恵美さん(50)。震災当時、福島県南相馬市で夫と当時2歳、5歳、7歳の3人の娘と暮らしていた。発災翌日の2011年3月12日、自宅から25キロ離れた東京電力福島第一原子力発電所の映像を見た夫が「これは危ない」と判断。家族をミニバンに乗せ、当てもなく南へ向かった。
出発直後、原子炉建屋が爆発する様子を目撃しながら、道の駅やホテルを転々とする避難生活が始まった。途中、名古屋市が市営住宅の無償提供を始めたことを知り、ようやくたどり着いた先では、娘たちと部屋にこもる日々が続いた。
「めぐりあいの会」の誕生
そんな中、社会福祉法人「名古屋キリスト教社会館」(名古屋市南区)が避難者支援に乗り出し、2012年11月に避難者同士が交流する自主組織「めぐりあいの会」を立ち上げた。この組織は1959年、伊勢湾台風の被災地支援に駆けつけたキリスト教関係者によって設立された同社会館の理念を受け継ぐものだった。
理事の谷川修さん(75)は会の設立について「お客さんではなく、当事者に主役になってもらいたかった」と語る。その期待通り、会は10人前後の避難者が中心となって運営され、自発的に花見会や親子キャンプ、芋煮会などのイベントを毎年開催してきた。
同じ境遇だから分かり合える悩み
小林恵美さんは地元出身の知人に誘われて会に参加。「知らない土地で友達も親族も一人もいない。お金もないし、子どもを連れて行く場所も分からなかった」という絶望的な状況の中、同じ福島県から避難してきた小林万希子さん(48)と出会った。
万希子さんは原発から60キロ離れた郡山市から、当時5歳と6歳の娘を連れて名古屋に避難。放射能への不安から、暑い日でも子どもたちに長袖長ズボンを着せ、マスクを着用させ続けていた。
「子どもの年齢が近く、すぐに意気投合しました」と恵美さんは振り返る。交流会ではボランティアの学生が子どもたちと遊んでいる間に、大人たちはビールを片手に本音を語り合った。「最初は仕事もなく、子育てに追われてストレスがたまっていた。同じ境遇の人同士、悩みを言い合えたことが何よりの救いでした」
新たな生活と変化する意識
2014年、恵美さんは愛知県で就職を果たす。それに伴い、次第に「被災者」という意識が薄れていったという。「骨を埋める覚悟で生活していきたい」と現在は考えている。
一方、会の副代表を務めてきた万希子さんは、社会館が運営する児童支援施設で働いている。福島に住む85歳の母親が気がかりではあるものの、「名古屋は温かい人ばかり」と現在の生活に充実感を口にする。
7年ぶりの再会へ
2020年春、新型コロナウイルスの感染拡大を機に会の活動は下火に。メンバーそれぞれが子育てが一段落したり、東北に戻ったりと、取り巻く環境は変化した。
しかし今月29日、谷川さんらの呼びかけにより、7年ぶりとなる花見会が開催されることになった。前回の開催は2019年春以来となる。
万希子さんは「以前の会とは役割が変わってきました。もうやらなくてもいいかもしれないし、続くかもしれない」と複雑な心境を明かす。桜の木の下で、かつて励まし合った日々を懐かしみながら、会の未来について語り合うことになるだろう。
震災から13年が経過し、避難生活から地域社会への定着へと歩みを進めてきた母親たち。7年ぶりの再会は、単なる懐旧の場ではなく、新たな関係性を模索する機会にもなりそうだ。



