スマホのない時代の遠征、森岡隆三氏が語る1999年コパ・アメリカの舞台裏
東京・新宿をホームタウンとする日本フットボールリーグ(JFL)「クリアソン新宿」の森岡隆三・アカデミーヘッドオブコーチングが、読売新聞ポッドキャスト「ピッチサイド 日本サッカーここだけの話」に出演しました。初めて日本代表入りした1999年に出場した南米選手権(コパ・アメリカ)を振り返り、当時の代表遠征の舞台裏について語りました。この日の収録には、特別MCとして元日本代表の柿谷曜一朗さんも加わりました。
本気の南米チームとの対戦
2002年の日韓ワールドカップに向けたチーム強化の一環で、日本代表は南米パラグアイで開催された南米選手権に出場しました。日本はグループリーグで、ペルー、パラグアイ、ボリビアと対戦し、1分け2敗で敗退しました。初戦のペルー戦について、森岡氏は「何もできなかった。おりに入れられた感じ」と振り返ります。
ペルーとは日本国内で行われた親善試合で、大会前にも対戦して引き分けていました。「これは行けるぞと思ってましたけど、ふたを開けてみたら、2-3で結果だけ見れば善戦して負けた感じだけど、(試合中)ずっと怖かったですね」と述べました。さらに、「威圧、迫力、気おされた。親善試合とは真剣度合いが全く違っていた。こっちがスタジアムの空気にひよったのもあると思う」と、公式戦の厳しい雰囲気を強調しました。
森岡氏は、「命かかっているみたいな感じを初めて経験したのもコパ・アメリカだった」と語り、当時の緊張感を思い起こしました。
地球の裏側での牧歌的な光景
今ではスマートフォンさえあれば、世界のどこにいても娯楽コンテンツに触れることができますが、当時は携帯電話の国内普及率すらまだ途上で、海外遠征の娯楽は乏しかったといいます。森岡氏は、「海外でゲーム機を接続するのは大変だったんだよ。そういうのを可能にしてた(宿舎の)部屋は(城)彰二ぐらいだった」と、当時の技術的制約を語りました。
「それ以外は、協会が用意してくれたVHSのカセットが何個かあって、『ロングバケーション』を部屋に集まって見てた」と、チームメイトと共に過ごした時間を懐かしみました。森岡氏は「『何時から見るよ』って。(現代からすると)良いチームビルディングだったかも」と振り返り、スマホがない時代ならではの絆を感じさせます。
今はスマートフォンがあり、ドラマやアニメ、ゲームなど、試合外の時間の過ごし方は自由度が高まっていますが、当時は“日本の裏側”で行われた大会の裏で、若者たちの牧歌的な光景もありました。「ドラマの終わり際になると歌が流れるじゃん。必ず誰か歌い出す」と、楽しいエピソードを披露しました。森岡氏は「(自分は)歌わない派だったかもしれない。でも、『GTO』の時は歌ってたかも(笑)」と、ユーモアを交えて語りました。
森岡隆三氏は、クリアソン新宿・アカデミーヘッドオブコーチング兼クラブリレーションズオフィサーを務め、日韓ワールドカップ日本代表主将として活躍しました。清水エスパルス、京都サンガでプレーし、ポジションはDFでした。1975年生まれ、神奈川県横浜市出身です。



