柔道の伝道師・コンデ・コマの生涯を映画化へ 青森・弘前で地元が熱い動き
青森県弘前市出身の柔道家前田光世(1878~1941年)、通称コンデ・コマの偉業を映画化しようと、弘前フィルムコミッション実行委員会が活動を活発化させている。今月1日に開催されたイベントでは、世界に柔道の種をまき、後の総合格闘技に多大な影響を与え、後半生はアマゾン開拓に人生を懸けた前田の生涯が紹介され、映画化の実現に向けた呼びかけが行われた。
地元が立ち上がる映画化プロジェクト
実行委員会は活動の第1弾として、昨年12月に前田の伝記パンフレットを発行。第2弾となる弘前市でのイベントには、映画や格闘技ファン約80人が参加した。前半ではパンフレットを執筆した坂本崇市議が講演を行い、後半のトークショーには津軽が舞台の映画「いとみち」の松村龍一プロデューサーと、つがる市フィルムコミッションの川嶋大史事務局長も加わり、格闘技好きの3人で前田の人生を深く掘り下げた。
桁外れの力自慢から柔道の伝道師へ
前田光世は、岩木山麓に位置する船沢地区の農家の長男として生まれた。桁外れの力自慢で、旧制弘前中学(現弘前高校)に入学後、津軽地域独自の本覚克己流柔術を修練して上京。講道館柔道に出会うと、たちまち頭角を現した。
「柔道の父」とも呼ばれる館長・嘉納治五郎に柔道の世界普及を命じられ、アメリカに渡った前田は、欧州や中南米も巡って異種格闘技戦を繰り広げた。身長164センチながら巨漢のレスラーらを相手に柔道着を着た戦いでは、「2000試合無敗」の伝説を作り上げた。この連戦連勝の旅は、移民として海外で差別された同胞に誇りを取り戻し、励ます旅にもなったという。
コンデ・コマの名の由来とアマゾン開拓
元々の名前「栄世(ひでよ)」を渡米後に改名した前田。スペインでは、あまりの強さに試合相手が逃げないよう本名を隠そうとして「困った」ことから、スペイン語のコンデ(伯爵)を付け足し「コマ伯爵」を名乗ったエピソードも紹介された。
終の地となったブラジルでは、過酷なアマゾン開拓に人生を懸けて同胞を世話し、前田の死後にコショウの生産が成功して日の目を見た。半世紀後には、前田の伝えた柔道をルーツにするグレイシー柔術が世界の格闘技界を席巻し、改めて前田が脚光を浴びることとなった。
2028年を目標に映画化実現へ
映画化の目標は、前田の生誕150周年となる2028年。時間や資金のハードルは高いが、イベントでは「日本の格闘の原点であり頂点」「人間的な強さや優しさもトップクラス」「役者は格闘技経験者を起用しよう」とトークが盛り上がっていた。
事務局を務める弘前観光コンベンション協会の白戸大吾事務局長は、「地元で前田を知る人を増やし、全国の格闘ファンにも呼びかけて実現を目指したい」と意気込みを語っている。弘前市立船沢中学校の柔剣道場には、今も前田光世の写真が飾られており、地元の誇りとしてその記憶が受け継がれている。



