「才能があったわけではない」鈴木明子、フィギュアスケートに夢中になった原点
2010年バンクーバー五輪と2014年ソチ五輪に出場したフィギュアスケーターの鈴木明子さん(40)が、氷上競技を始めたのは6歳の頃だった。水泳、ピアノ、書道、絵画など、幼少期から多くの習い事を経験する中で、スケートはその一つに過ぎなかった。愛知県豊橋市の自宅近くにあったリンクに週1回通い始めたが、特に才能があったわけではなく、周囲の子どもたちよりも上達は遅く、技の習得にも時間がかかったという。
しかし、鈴木さんはすぐにフィギュアスケートの魅力に取りつかれた。「氷の上に一人で立って、風を切りながら滑り、音楽を表現できることに夢中になりました」と振り返る。水泳のように「よ~いドン」で他者と競うことは好まなかったが、戦う相手は自分自身である点に強く惹かれた。負けず嫌いな性格も相まって、他の習い事を徐々に減らしながら、毎日スケートの練習に打ち込むようになった。
リンク閉鎖と拠点移転、全国レベルの壁との出会い
スケートを始めて1年後、通っていたリンクが閉鎖されてしまう。それでも競技を続けたいという強い思いから、名古屋市のリンクに拠点を移すことを決意。両親もそのやる気を理解し、快く協力してくれたという。
小学4年生で全国の選手が集まる合宿に参加した際、鈴木さんは大きな衝撃を受けた。県大会ではメダルを取れるようになっていたが、全国レベルのライバルたちの高い技術と表現力に圧倒されたのだ。「全国の壁ってこんなに高いんだと実感しました。見本通りにさっと動けたり、自分自身をアピールする能力に優れていたり……。それまでマイペースに自分と戦っていたのですが、ライバルたちの存在を知り、『みんなと全国大会で再会したい』と強く思うようになりました」と語る。
初の全国大会での挫折と仙台での強化合宿
小学5年生で初めて出場した全国大会では、緊張から実力を発揮できなかった。試合前の練習で他選手の上手な演技を見て焦り、最初のポーズで足の位置を間違えるミスを犯してしまう。その後の演技も思うようにいかず、終了後には大号泣したという。
この経験から「このままでは嫌だ」と決意し、当時日本で最もレベルが高いとされていた仙台での強化合宿に参加。普段は1日2~3時間の練習だったが、ここでは毎日8時間を氷の上で過ごした。疲れすぎて食事も喉を通らないほどだったが、厳しい環境にいること自体が楽しかったと振り返る。基礎練習の重要性を改めて認識し、それまで跳べなかったダブルアクセル(2回転半ジャンプ)も習得することができた。
年下のライバルたちとの競争と自信のなさ
中学時代から国際大会に出場し、キャリアを積み上げていく中で、鈴木さんは常に自信のなさと戦っていた。安藤美姫さんや浅田真央さんなど、年下の強力なライバルたちが次々と台頭する中、自宅のメダルコレクションを見返すと金メダルが圧倒的に少ないことに気づく。緊張に負けたりジャンプを失敗したりと、なかなか勝ちきることができない日々が続いた。
「自信をつけるためには、練習を積むしかありません」と鈴木さんは語る。練習時間を増やすため、地元の中学校ではなく名古屋市の私立中学を受験したのも、豊橋から名古屋のリンクへの移動時間を節約するためだった。練習量を増やせば自信も実力もつき、結果につながると信じてひたすら練習に励んだが、自分を信じきることができず、不安がつきまとうジュニア時代だったという。
それでも、親やコーチなど周囲の人々が鈴木さんの可能性を信じて励まし続けてくれたおかげで、コツコツと練習を続けることができたと感謝の言葉を述べている。負けず嫌いな性格が原動力となり、才能ではなく努力で道を切り開いてきた鈴木明子のフィギュアスケートへの情熱は、こうした積み重ねから育まれてきたのである。



