黒のユニホームに燃える闘志 マイケル・オウがアルバルク東京で証明した存在感
戦闘服の色は赤から黒へと変わった。しかし、マイケル・オウの内に秘めた闘志は何一つ変わっていない。むしろ、新たな舞台で真っ赤に燃え上がっているように見える。その証拠を、彼はチームを救うパフォーマンスで鮮やかに示したのだ。
逆転勝利の立役者に オウの守備が流れを変える
Bリーグ1部(B1)に所属するアルバルク東京は3月11日、ホームであるトヨタアリーナ東京でアルティーリ千葉と対戦し、87対81で逆転勝利を収めた。これにより、チームの連勝記録は5に伸びた。この逆転劇の陰には、わずか6日前に千葉ジェッツから期限付き移籍で加入したばかりのマイケル・オウの存在があった。
オウは第2クオーターにアルバルク東京のユニホームを初めて着てコートに立つと、約2分後にはゴール下で安藤周人からのパスを受け、新天地での初得点を決めた。身長200センチ、体重100キロを超える相手選手に体をぶつけながらの得点は、昨年末の負傷で約2カ月間プレーできなかったにもかかわらず、彼の変わらぬ強さを印象付けた。
試合のハイライトは、14点差をひっくり返した第4クオーターだった。アルバルク東京はマーカス・フォスターの爆発的な活躍で残り4分43秒に1点差まで迫る。対するアルティーリ千葉は丁寧に攻め、ゴール下の味方にパスを送った。ほぼフリーの状態だったが、オウはその動きを読んでいた。素早く反転してジャンプし、相手のシュートを力強くたたき落としたのだ。
「自分はまだやれる」 復帰への確信と前向きな姿勢
この日、アルバルク東京は万能型長身選手のライアン・ロシターとチェイス・フィーラーを欠き、ゴール下は相手の長身選手に支配されがちだった。しかし、身長208センチの中国人ビッグマンであるオウの好守備が、その悪い流れを断ち切った。「自分はまだやれるんだって、確信できた」とオウは語り、けがの影響を心配する気持ちが吹き飛んだことを明かした。
こうなるとアルバルク東京は止まらない。復調したフォスターを中心に丁寧に攻め続け、残り2分32秒でついに逆転に成功。連勝を継続させたのである。
ロシターとフィーラーの負傷による穴を埋めるために加入したオウは、前節の長崎戦2試合では計約2分の出場に留まっていた。しかし、この日は12分3秒のプレー時間で6得点2リバウンドを記録。さらに、成績には残らないプレーでもチームに大きく貢献した。デイニアス・アドマイティス監督は「インパクトを残してくれた。特に連係攻撃への守備が良く、素晴らしい仕事をしてくれた」と笑顔で称えた。
戦術適応への課題と古巣への複雑な思い
リーグ屈指の緻密な戦術には、まだ完全に適応できていない部分もある。それでもオウは「しっかり適応して、コートで貢献したい」と貪欲な姿勢を見せる。この日も、復帰したばかりの司令塔であるテーブス海との連係攻撃を試みるなど、積極的にチームに溶け込もうとする努力が窺えた。過密日程で十分なチーム練習ができないことを言い訳にせず、コート上で学び続ける覚悟だ。
一方で、オウの心境は複雑でもある。中国でプロデビューした彼は昨シーズンから千葉ジェッツでプレー。日本トップクラスの司令塔である富樫勇樹や、米NBAでのプレー経験がある渡辺雄太らと共に勝利を重ね、多くのことを学んだ。「千葉ジェッツでプレーできて本当に良かった」と、感謝の一言では表せないほど特別な思いを古巣に抱いている。
プレーオフやチャンピオンシップ争いが激しくなる中、プレーできずにつらい日々を過ごしたオウは、復帰したら千葉ジェッツに貢献したかったに違いない。しかし今、彼はライバルとして古巣に対峙する立場にある。しかも、今シーズンのアルバルク東京は、昨シーズンのチャンピオンシップ準々決勝での千葉ジェッツ戦を契機に躍進したチームだ。
「やっつけたい」 明確な闘志と仲間への思い
簡単には割り切れない思いがあるだろう。それでもオウは「今はアルバルクのユニホームを着ている。千葉ジェッツだって、やっつけたい」と明確に答えた。移籍が決まったとき、富樫からは「良かったねマイケル」、渡辺からは「プレーしてくれて自分もうれしい」と温かい言葉をかけられたという。
同じユニホームでプレーできなくても、オウがコートに立てることを心から喜んでくれた仲間たち。アルバルク東京に適応し、千葉ジェッツのライバルとして競い合うことが、そんな仲間の思いにも応えることにつながると信じている。「今は、ハッピーだよ」。迷いはない。アルバルク東京のオウとして、今シーズンを駆け抜ける決意だ。
東日本大震災から15年 試合前の黙とう
この試合が行われた3月11日は、東日本大震災から15年目の節目の日だった。試合開始前には、両チームの選手やスタッフ、観客や報道陣も含め約9000人による黙とうが捧げられ、静かな時間が流れた。スポーツの場でありながら、震災の記憶を共有し、犠牲者を悼む大切な機会となったのである。



