神奈川台場跡で蛇籠が全国初出土
神奈川県横浜市神奈川区にある神奈川台場跡の発掘調査で、全国の台場跡では初めてとなる「蛇籠(じゃかご)」が石垣の遺構から発見されました。蛇籠は竹などで編んだ籠に石を詰めた日本古来の土木資材で、幕末の高度な水防技術の一端を示す貴重な発見です。
発見の経緯と意義
この発掘調査は、地権者でつくる東高島駅北地区土地区画整理組合が、都市計画道路「栄千若線」の建設に先立ち、横浜市ふるさと歴史財団埋蔵文化財センターに委託して実施。昨年12月から約3800平方メートルを対象に進められてきました。
調査の結果、台場から陸側に延びる2本の道のうち、東側の「東取渡り道」との接合部付近で、布積みの手法で整然と積まれた石垣が確認されました。この石垣の基礎部分から、3個の良好な状態の蛇籠が、2列の木製杭列や土留め板、泥岩の捨て石とともに見つかりました。これらは水防システムを構成し、波浪や水圧による石垣の崩壊を防ぐ役割を果たしていたとみられます。
調査担当者は「西洋式砲台の導入に際し、基礎部分に日本古来の優れた土木技術を組み合わせ、軟弱地盤を改良した証拠」と評価しています。
地形的な利点も明らかに
今回の調査では、初めて海水面下の状況も調査。石垣の形に沿うように比較的浅いところに島状の強固な基盤層(岩盤)が存在することが確認されました。この地形的な利点により、この場所に巨大な砲台を築造できたとみられます。
保存を求める声
同台場跡はJR貨物東高島駅周辺の約2万6千平方メートルに及びます。しかし、道路建設予定地の遺構は調査終了後に撤去され、その上に道路が敷設される方針です。
長年調査と保存活動を続ける公益社団法人「神奈川台場地域活性化推進協会」の山本博士理事長は「神奈川台場は開港都市横浜の誕生に関連する施設。地中の遺構は関東大震災や横浜大空襲を免れてきた。横浜市民が誇れる貴重な宝であり、せめて移設保存して後世に形を残してほしい」と訴えています。
神奈川台場とは
神奈川台場は、異国船の来航に備え幕臣の勝海舟が設計。四国の松山藩が建設と当初の警備を担当し、横浜開港翌年の1860年に完成しました。大きさは縦95メートル、横246メートル、面積約2万6千平方メートルで、14門の大砲を備えていました。主に祝砲や礼砲を放つ外交儀礼施設として利用され、一度も実戦で使われませんでした。陸地とは2本の「取渡り道」でつなぎ、その形状が羽を広げたコウモリに見えることから「コウモリ台場」とも呼ばれました。1899年に廃止され、その後の埋め立てで姿を消しました。



