愛知県半田市にかつて存在した競艇場が、わずか6年半という短い期間で姿を消したことをご存じだろうか。1957年の半田市全図を手掛かりに、半田港近くを歩いてみると、確かに競艇場があったはずの場所には、今は埋め立て地が広がるばかりである。多くの観客でにぎわったスタンドや監視塔の面影はどこにもない。
半田競艇場の歴史
半田競艇場は、1953年4月に県内で初めて開設された競艇場であり、東海地区でも津に次いで2番目に誕生した。開場に至るまでには、戦後の財源不足に悩む半田市が新たな収入源として競艇に着目し、1952年8月に市議会でモーターボート競走場設置議案が可決。同年10月には模擬レースを実施し、12月には全国モーターボート競走会連合会の審査に合格。翌年2月に陸上施設工事が始まり、4月4日に念願の開場を迎えた。
当時の賑わい
開場後は順調に観客を集め、同じ知多半島内の常滑競艇場が同年7月に開場しても、ファンが分散する懸念を払拭するほどの人気だった。1953年8月の「競艇まつり」では名古屋駅から無料送迎バスが運行されるほどであった。市商工会議所の協力で見つかった内藤忠二さん(90)は、当時を振り返り「スタンドがあって、監視塔があって、スタンドの下に舟券を買うところがあった。にぎわっていて、スタンドはほとんど満員だった記憶がある」と語る。半田駅から競艇場へ向かう道路沿いで働いていた内藤さんは、「駅からぞろぞろと歩いて行く人がいた」と懐かしむ。
また、市観光協会の鈴木晶子さんが祖父の遺品から見つけたマッチ箱には、「スリルと高配当」や「見よい買よいつかみよい」というキャッチコピーが印刷されており、競艇場内には飲食店もあったようだ。
突然の終焉
順調に見えた半田競艇場だったが、1959年9月、伊勢湾台風が直撃する。海に面した競艇場は、選手控室を残して全てが流されてしまった。市は復興事業を優先するとして競艇事業廃止を提案し、市議会で承認された。当時の中日スポーツは、「ここ二、三年は年間二千万円以上の収益を一般会計へ繰り入れるほどの成績だったが、同敷地を中心に臨海工業地帯を造成、工場誘致をはかる計画が進んでいるのでこれを機会に廃止に決まったもの」と報じている。
廃止後の半田市
競艇場はわずか6年半で消えたが、半田市はレースの施行権を手放さなかった。1964年から常滑市の協力により、ボートレースとこなめで年間24日間、半田市のレースを開催している。2025年度には4375万円の事業収入があり、市の主要財源の一つとなっている。2024年12月議会では基金条例を制定し、教育活動など子どもを中心とした施策に活用する方針が決まった。
現在、競艇場跡地は埋め立てられ、静かな工業地帯となっている。かつての歓声やエンジン音は聞こえないが、潮の匂いだけは当時と同じように漂っている。



