滋賀県甲賀市の信楽高原鉄道事故から35年が経過した。当時、若手消防士として現場に駆け付けた2人の消防士が、初めて公の場で当時の記憶と教訓を語った。甲賀広域行政組合消防本部次長の辻本直樹さん(57)と予防課長の安田昌之さん(54)は、悲惨な事故を風化させまいと、沈黙を破った。
「めちゃくちゃ暑い日だった」
1991年5月14日、信楽の最高気温は24.3度に達し、年明け以降で最も暑い日となった。2人は県の消防救助技術大会に向けて朝から訓練に励んでいた。午前10時35分過ぎ、信じがたい通報が入る。「列車同士が衝突した」。現場に急行すると、想像を絶する光景が広がっていた。
山のようにせり上がった車両
JR西日本と信楽高原鉄道の先頭車両は、山のようにせり上がり、原形をとどめないほど大破していた。辻本さんは「しばらく何がどうなっているのか分からなかった」と振り返る。人々は折り重なるように亡くなり、生存者も血まみれで、あちこちから「助けてくれ、助けてくれ」という叫び声が上がった。安田さんは「血の生臭さと油が混じった異臭が漂い、うめき声も聞こえた」と険しい表情で語る。
初めての大規模救助
2人にとって初めての大規模な救助現場だった。JR西日本の後方車両で乗客の救助に当たった。直角の座席が曲がり、挟まれた人が多数いた。油漏れのため火花が出る切断器具は使えず、油圧式のスプレッダーなどで押しつぶされた構造物の隙間を広げ、一刻を争った。「とにかくやってみるしかなかった」と2人は口をそろえる。あまりの惨状に「所々記憶が飛んでいる」という。
教訓を次世代へ
辻本さんはこの事故を機に救急救命士の資格を取得し、約20年にわたり救急医療の現場で働いた。安田さんも「消防士になったばかりで知識が不十分だった。あらゆることを吸収しようと姿勢が変わった」と語る。事故から35年が経ち、当時を知る職員は減少。2人も数年後には現役を退くが、あの日の経験と教訓を後輩たちに語り継いでいくつもりだ。
事故の風化を防ぐため、2人は今後も講話などを通じて記憶を伝えていく決意だ。



