訪問看護事業の資金難と再生 母の祈りが支えた経営者の闘い
訪問看護事業の資金難と再生 母の祈りが支えた経営者

利用者との交流会の準備をする私(中央)。事業継続に向けて多くの人に助けられた。

あまり思い出したくないことだが、開業から約1年であっという間に資金難に陥った。「困っている人がいる。民間じゃないと細やかに訪問看護できない」。そうした熱意だけで始めた事業だったが、今考えると、本当の意味での経営者ではなかった。

会社を経営するからには人件費に加え、光熱費などを勘案し、料金をこれ以上下げられないというラインをつくっておくべきだったが、していない。しっかりした事業計画もなかった。給料も竹田綜合病院と同じような額で設定していたので、あっという間に資金が底を突いてしまったのだ。そもそも事業資金は、貯金と退職金。銀行から借り入れして始めたわけではなかった。「会社をクローズするか」と考えるまで追い込まれた。

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資金繰りのことを考えると、飲んだり、食べたりすることもできなくなってしまった。眠ることさえできず、完全にダウンしたような状態だった。眠れないから、夜中に歩き回ったりしていて、母には相当な心労をかけた。食事を受け付けなくなり食べないでいると、母がそばにいるので、申し訳ないからお茶漬けにして流し込む。しかし、その後に吐いてしまうという状況となり、かなり痩せてしまった。

そんな状態の私を心配した母から「神社に交通安全祈願に行こう」と誘われた。どうして安全祈願なのかなと思ったが、今思うと単純に「神社に祈願へ行こう」と声をかけても、私は行かないと考えたのだと思う。神主の方が祈祷していると、鼻をすする音が聞こえ、振り返ると泣いている母の姿があった。それを見た時、「老いた母に心配をかけて…」と、込み上げる思いを抑えきれなかった。それを機に気持ちを切り替えた。そうすると、助けてくれる人が数多く現れた。

助けてくれた人は本当に多くて、感謝してもしきれないほどだ。かつての仲間が「戻ってきたら」と声をかけてくれたり、ボランティアで手伝ってくれる人もいた。また、「出世払いでいいよ」なんて言ってくれた税理士の方もいた。

救ってくれた人たちがいたから、命があると思っている。当時は本当に休みがなくてもいいくらいの思いだった。もちろん私自身のお給料はもらえておらず、お小遣い程度。本当にきつかった。一生懸命に働いていると、ある環境の変化が起きた。

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