精子ゼロの宣告から12年、提供精子で築いた家族の物語
2013年の冬、40歳だった会社員の寺山竜生さん(53)は、妻・なつさん(45)からの連絡を待ちわびていた。結婚して4年が経つが妊娠に至らず、竜生さんの精液検査の結果を知らせるため、なつさんは東京都内の産婦人科を訪れていた。駅で待ち受ける竜生さんの元に、涙ながらに駆け寄ったなつさんの言葉は衝撃的だった。「精子なかった」。100人に1人程度とされる「無精子症」の診断が下された瞬間だった。
絶望の淵から見つけた「金継ぎ思考」
それから5年後、寺山夫妻は他者から命の種をもらうAID(非配偶者間人工授精)によって、2人の娘を授かることになる。自身の遺伝子を残す未来は絶たれたが、その過程で家族の本質について深く考えるようになった竜生さんは、壊れた器を漆や金粉で再生させる「金継ぎ」に例え、「金継ぎ思考」と呼ぶ前向きな姿勢を培った。
当時を振り返り、なつさんは語る。「男性不妊への助成金や提供精子治療の補助金はなく、誰に相談すればよいかも分からない暗闇の中に立たされていました」。一方、竜生さんは自責の念に駆られた。「なぜ俺が」と自らを責め、生きる意味さえ見失いかけた。しかし、時間の経過とともに、無精子症を「単なる事実であり、自分の一つの特性」と受け止めるようになった。
血縁を超えた絆への決断
子どもを持つための選択肢として、第三者の精子を使うAIDと特別養子縁組が浮上した。なつさんは既に34歳となり、妊娠力の低下への不安もあった。竜生さんは血縁がないことへの悩みを深く掘り下げ、あらゆる状況を想定して何百回も自問自答した。
「血縁、家族とは何か。子どもは本当に必要か」。夫妻は対話を重ね、当事者交流イベントにも参加。AIDで育てられた親子が周囲と何ら変わらない姿に触れ、「自分も親として育てられる」と確信した。なつさんが「私が死んでも、1人で育ててくれる?」と問うと、竜生さんは「当たり前じゃん」と即答。無精子症と診断されてから2年、AIDへの決断が固まった。
治療の苦難と台湾への挑戦
AID治療は2年弱に及び、計20回の人工授精を試みたが、妊娠には至らなかった。竜生さんは当初、治療に積極的に関われず、なつさんの悲嘆を十分に理解できなかったと振り返る。「2人で子どもを作ると決めたのに、これでは駄目だ」。そう気付き、治療用語を学び、妻の心情に寄り添うようになった。
新たな道として選んだのは、台湾での顕微授精だった。当時の日本では提供精子を用いた高度な治療が限られていたが、台湾では公的な精子ドナー情報を得ながら、妊娠率の高い顕微授精が可能だった。外国人ドナーへの抵抗もあったが、「グローバルな視点を持つ子に育てたい」という希望が選択を後押しした。結果、1度目の顕微授精で妊娠し、2018年に長女、2023年に次女が誕生。姉妹は同じドナーから命の種を受け継いだ。
真実を伝え続ける日常
夫妻は子どもが生まれる前から、父親と血がつながっていない事実を伝えることを決意。妊娠中から絵本を読み聞かせ、「パパには卵がなくて、親切な人から分けてもらいました」と話しかけた。生後も日常会話で自然に触れ、この話題をタブーにしない環境を築いた。
竜生さんは強調する。「血縁という土台がないからこそ、一人の人間として丁寧に関係を築く。家族とは、子どもと一緒に努力して『作るもの』なんです」。遺伝的なつながりがない悲しみはあるが、そのおかげで今の家族と出会えたという。
朝の「おはよう」の挨拶、帰宅時に玄関まで駆け寄る笑顔、金曜の夜の団らん――。そんな日常は、かけがえのない瞬間に満ちている。竜生さんは子どもたちに伝えたい。「自分で取りに行ったから幸せになれた。苦労もあるけど、基本的に人生って、生きるって、楽しい」。
不妊治療の現状と支援活動
国立社会保障・人口問題研究所の調査によると、4.4組に1組のカップルが不妊検査や治療を受けたことがある。WHOのデータでは、不妊症の原因が男性のみにあるケースは24%に上る。日本では2022年から不妊治療の一部が保険適用となったが、AIDは対象外だ。
竜生さんは現在、「一般社団法人 AID当事者支援会」の代表理事として、同じ苦悩を抱える人々の支援に取り組んでいる。自身の経験を糧に、一歩を踏み出す後押しを続けている。