点字ブロック発祥の地・岡山で商店街に設置 竹内昌彦さん81歳の長年の願い実る
長年の念願がついに実現した。岡山市北区の表町商店街に先月、点字ブロックが設置された。6年前から要望を続けてきた同区の認定NPO法人「ヒカリカナタ基金」の理事長、竹内昌彦さん(81)は「視覚障害者も安心して買い物ができるようになる」と感慨深げに語る。
商店街での設置は困難な課題
岡山市は点字ブロック発祥の地として知られる。同市の発明家・三宅精一さん(1926~82年)が開発に取り組み、1967年に県立岡山盲学校(岡山市中区)近くの国道250号原尾島交差点に初めて設置された。この60年で全国に広がったが、商店街での設置はなかなか進んでいなかった。
景観を損ねるとして反対する声が根強い上、イベントなどが頻繁に行われる商店街では、商品陳列棚などが点字ブロックを塞いでしまう懸念が、設置に二の足を踏む理由とされてきた。
社会実験を経て実現へ
同基金は市や表町商店街の役員と設置に向けて協議を重ね、2022年10月から11月にかけて、一部区間に点字ブロックに見立てたシールを貼る社会実験を実施。イベント時には誘導員を配置するなどして事故防止を図ることができたため、中之町エリアの約150メートルに設置が決定された。
竹内さんは「反対意見がある中で、理解してもらえてありがたかった」と語り、関係者の協力に感謝の意を示した。
幼少期に失明、パラリンピックで金メダル獲得
竹内さんは1945年に中国・天津で生まれた。引き揚げの際に栄養失調と肺炎が原因で右目の視力を失い、弱視だった左目も網膜剥離のため小学2年生の頃に完全に失明した。
「失明したことは仕方ない。その中でできることを増やそう」と奮起した竹内さんは、岡山盲学校在学中に音の鳴る球を打ち合う視覚障害者の卓球に熱中。1964年の東京パラリンピックでは金メダルを獲得し、人一倍の努力を重ねてきた。
点字ブロックとの出会いと普及活動
点字ブロックに出会ったのは、東京教育大学(現筑波大学)を卒業し、教鞭を執るため母校に戻った1968年のことだった。視覚障害者が歩くにはまっすぐな目印が必要で、それまでは歩道の縁や溝などに頼ってきた竹内さんは「歩くのが楽になった。本当にいいものを作ってくれた」と当時を振り返る。
当初から普及活動を続けてきた竹内さんは、「三宅さんの功績が埋もれてしまわないように」と2010年3月18日、原尾島交差点の一角に「点字ブロック発祥の地」の石碑を設置。その日を「点字ブロックの日」と定めた。
途上国の子どもたちへの支援活動
同基金では、途上国に住む盲目の子どもたちに光を届ける活動にも力を入れている。手術代が払えず盲目のまま暮らす子どもに費用を寄付する取り組みで、これまでにキルギスやミャンマーなど8か国で計1371人の子どもたちを救ってきた。
きっかけの一つとなったのは、重い障害があった長男に6歳で先立たれたこと。竹内さんはそれまで、「幸せになりたい」と自分のために努力をしてきたが、「自分よりも家族、同僚ら他の人が喜ぶ姿が幸せだと気づいた」と語る。
支援した子どもたちから「友だちとサッカーができるようになった」「将来医者になって人々の目を治したい」といった知らせが届くと、何よりの励みになるという。「目が見えなくなるつらさを知るからこそ、見えるようになるありがたさも分かる。子どもたちに自由に人生を歩んでほしい」と力を込めた。
竹内昌彦さんの歩み
竹内さんは中国で生まれ、岡山市などで育った。1968年に県立岡山盲学校に赴任し、教頭まで勤め上げた。1991年からは障害者差別などに関する講演を全国で行い、これまでに計約3500回を数える。講演の謝礼などを元に2011年にはモンゴルに視覚障害者の職業訓練校を設立。2021年の東京パラリンピックでは聖火ランナーを務めた。



