埼玉県川越市にある川越城は、天守閣も石垣もない異色の城郭として知られる。江戸時代には幕府の重鎮を多数輩出し「老中の城」と呼ばれたこの城は、現在も貴重な本丸御殿が残っている。しかし、その外観は派手な装飾がなく、一見すると何の建物か分からないほど質素だ。
実用本位の設計が現代に生きる
川越城本丸御殿は、江戸時代後期に建てられたもので、藩主の住まいと政務を行う庁舎が一体化した「御殿」だった。当時は徳川家康や三代将軍家光も訪れた可能性があるという。現代の官庁建築やオフィスビルに相当するこの建物は、実用性を重視した設計が特徴だ。
玄関には大きな唐破風が設けられ、葵の御紋をあしらった金箔の鬼瓦が輝く。これは重要な役人を迎えるための豪華な造りだが、内部は質素で、36畳の大広間には杉戸絵が残る。天井には黒ずんだ円形の跡が点在しており、これは戦後、本丸御殿が中学校の仮校舎として使われた際にバレーボールがぶつかった跡だという。
戦後は体育館としても活用
終戦直後、本丸御殿は中学校の仮校舎となり、大広間は子どもたちが飛び跳ねる体育館として使われた。このような多用途への転用が可能だったのは、もともとが実用重視の設計だったからだ。もし豪華な城だったら、こうはいかなかったかもしれない。
川越城の歴史と役割
川越城は1457年、太田道真・道灌父子によって築かれた。同じ年に江戸城も築かれており、川越城は江戸城の「兄弟城」と呼ばれる。城下町を完成させたのは松平信綱で、新河岸川の舟運を開拓し、江戸の物流拠点として発展した。これが後に「小江戸」と呼ばれる文化の基盤となった。
現在の本丸御殿は1848年に再建されたもので、江戸時代が終わるわずか20年前に完成した。その後、廃城政策で大部分が解体されたが、本丸御殿は県庁舎や公会所、武道場などに転用され、保存された。
現代に残る城の面影
現在、本丸御殿の渡り廊下の先には家老詰所が再現され、議論する家老の人形が置かれている。二の丸跡にある川越市立博物館では城と城下町の展示が充実しており、市役所前には太田道灌の立像がある。また、童謡「とおりゃんせ」の発祥地とされる三芳野神社も見どころだ。
質実剛健な川越城は、江戸・東京の繁栄を陰で支えてきた。華やかさはないが、現代の埼玉県の姿を重ねる人も多いだろう。



