能登半島の先端に立つ白亜の灯台が、国の重要文化財に指定される見通しとなった。文化審議会は22日、石川県珠洲市狼煙町の禄剛埼灯台を重要文化財(建造物)に指定するよう、文部科学相に答申した。2年前の能登半島地震で被災した灯台が、地域復興の象徴として新たな一歩を踏み出す。
現役最古級の洋式灯台
禄剛埼灯台は、能登半島沖の船舶航行の安全を確保するため、1883年(明治16年)に建設された。日本人技術者の主導で建設された国内初の本格的な洋式灯台であり、現在も現役で航路を照らし続けている。建設を主導したのは、当時工部省の工部少技長を務めた藤倉見達。彼は「日本の灯台の父」と呼ばれる英国人技術者リチャード・ヘンリー・ブラントンの通訳を務め、技術を習得。後に重要文化財の鞍埼灯台(宮崎県)なども手掛けた。
灯台は石造りで、上部に金属製の灯籠を戴く。内部は2層構造で、らせん階段が巡る。近代灯台建設の初期の姿を今に伝え、現役で航路の安全を支えている点が、近代海上交通史上、高い歴史的価値を持つと評価された。指定されれば、石川県内の国指定重要文化財(建造物)は50件目となる。
地震被害と復興への願い
2024年元日の能登半島地震では、灯台の心臓部とも言えるフレネル式レンズが破損。その後、LED灯器に交換された。しかし、震災によって建設当時の痕跡が新たに露出するなど、被害の中にも歴史的価値を再認識させる発見があった。
灯台の足元で「能登さいはて資料館」を運営する河崎倫代さん(76)は、曽祖父が灯台守だった縁で、灯台の歴史を語り継いできた。河崎さんによると、かつては石油を燃料とし、灯台守一家が日没とともに点灯し、夜明けとともに消灯してレンズのすすを拭き取る日々を送っていた。現在は電気に変わったが、灯台の歴史は地域の記憶と共にある。
河崎さんは「灯台は能登のシンボル。地震で傷ついたけれど、復興の光として再び輝いてほしい」と語る。灯台は半島の先端に位置し、海から昇る朝日と沈む夕日の両方を望める場所としても親しまれてきた。その美しい景観は、多くの人々の心の支えとなっている。
今後の展望
重要文化財指定により、灯台の保存と活用が一層進むことが期待される。地元では、灯台を核とした観光振興や防災教育の拠点としての活用も模索されている。被災した能登地域にとって、禄剛埼灯台の重文化指定は、復興への希望の光となるだろう。



