横浜の小学校で95歳被爆者が「命の授業」 児童「原爆の本当の恐ろしさ知れた」
95歳被爆者が横浜の小学校で「命の授業」 児童が核廃絶の願い受け止める (26.02.2026)

横浜の小学校で95歳被爆者が「命の授業」 児童たちの心に響く核廃絶の願い

太平洋戦争末期に広島市で被爆した横浜市在住の松本正さん(95)が先ごろ、市立すみれが丘小学校(都筑区)の6年生を対象とした特別授業に招かれ、少年時代の壮絶な体験を証言しました。この「命の授業」に参加した約60人の児童たちは、「原爆の本当の恐ろしさを知ることができた」と語り、松本さんが訴える核兵器廃絶への願いを深く受け止めていました。

83歳まで証言を拒み続けた「ずるい被爆者」の決意

松本さんは1945年8月6日、旧制中学3年生の時に学徒勤労動員先の軍需工場(爆心地から3.5キロ)で被爆しました。自身は防空壕に飛び込んで命拾いをしたものの、街は地獄絵図と化し、うめき苦しむ負傷者を置き去りにして猛火から逃れるほかなかったといいます。

広島では被爆者のうち約14万人が同年末までに死亡し、松本さんも10人の親族を失いました。姉の一人は「周りの空気が全部火になった」と言い残して絶命し、2歳下の弟は、運び込まれた救護所で「お兄ちゃんが助けに来てくれる」とつぶやきながら息絶えたという痛ましい記憶を語りました。

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松本さんは、だれも救助できなかった自責の念から83歳まで被爆証言を拒み続けてきた過去を明かし、「私はずるい被爆者です」と吐露。しかし今月18日に行われた特別授業では、「命のある限りノーモア・ヒロシマ、ノーモア・ナガサキと叫び続けます」と力を込めて訴えかけました。

児童たちの率直な感想「犠牲者の苦しみを全然分かっていなかった」

質疑応答では、子どもたちから率直な感想が次々と寄せられました。「原爆のことは知識としては知っていたが、本当の恐ろしさを知ることができて良かった」「犠牲者の苦しみや放射線被害のことを全然分かっていませんでした」といった声が上がり、松本さんの証言が子どもたちの心に深く響いたことがうかがえました。

栗原信一校長は「学校創立50周年の節目に卒業を控えた子たちが、命と平和の尊さを考える貴重な機会となった。松本さんの『命の授業』は心に響いたはず」と感謝の言葉を述べています。

高齢と困難を乗り越えて続ける証言活動

松本さんは長年、語り部として活動してきましたが、今年1月に転倒して腰椎を圧迫骨折したほか、長年連れ添った妻が他界するという苦難に見舞われました。失意の中で数週間、寝たきりの状態が続いたものの、「自分が生かされているのは、証言を伝えろということかもしれない」と考え、車いすで活動を再開させました。

最近の核兵器廃絶に逆行する米ロの動きや、非核三原則を軽視する政治家の発言に対しては「冗談じゃない」と憤りを露わにし、活動継続の決意を改めて語っています。今後は体調と移動の負担を考慮し、現在入所している高齢者福祉施設の会議室を借りるなどして、希望者に体験を伝えていく予定です。

この特別授業は、単なる歴史の授業ではなく、生き証人から直接聞くことで、戦争の悲惨さと平和の尊さを実感する貴重な機会となりました。松本さんの「命の授業」は、次世代を担う子どもたちに核廃絶への思いを確実に受け継いでいく役割を果たしています。

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