フィリピンに残る戦禍の記憶、風化の陰で軍事協力拡大への妥協
フィリピン戦禍の記憶と軍事協力拡大への妥協

フィリピンの首都マニラの観光地イントラムロスには、太平洋戦争の犠牲を伝える慰霊碑が静かに立っている。1945年2月から3月にかけて、日本占領下のマニラで日米両軍が激しい市街戦を繰り広げ、「東洋の真珠」と称された美しい街並みは完全に破壊された。慰霊碑には10万人を超える市民が犠牲になったと刻まれ、「彼らのことを決して忘れない」という言葉が深く刻まれている。

マニラ市街戦の記憶と風化の危機

慰霊碑の傍らのパネルは、劣勢に立った旧日本軍が「最後の抵抗」として戦いに至る経緯を説明する。そこには「日本軍は建物への放火や民間人の拘束を始めた。マニラの最も暗い時代の始まりだった」と記されている。しかし、戦後生まれの世代が増えるにつれ、この記憶は徐々に風化しつつある。

日本との軍事協力拡大をめぐる現状

フィリピンのマルコス大統領は5月26日、国賓として来日した。太平洋戦争での旧日本軍の占領を経て、国交正常化から7月で70年を迎える。来日を機に両国関係はさらに強化される見通しで、フィリピンは日本が4月に解禁した武器輸出先の第1号としても候補に挙がっている。旧日本軍による被害の記憶が刻まれたフィリピンだが、南シナ海の領有権を巡って中国と対立する現在、日本との軍事的な結びつき強化を歓迎する声が大きい。世論調査では、世界の平和や安全保障に貢献する国として日本を信頼するとの回答が8割近くに上る。

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歴史認識と経済支援の影響

日比の安全保障史に詳しいアナリスト、ホセ・カストディオ氏は「日本が戦後の賠償を誠実に果たしてきたことが、良好な関係の下地となった」と説明する。両国は1956年に賠償協定を結び、国交を正常化。日本は政府開発援助(ODA)なども含めた資金援助で、フィリピンのインフラ整備に大きく貢献してきた。支援は現在も継続しており、カストディオ氏は「フィリピンで徐々に負の感情が消えていった」と分析する。

技術協力や人材育成などソフト面の支援も続けてきた日本は、今や対中抑止力という共通の課題を背景に軍事面での援助を強化している。アテネオ・デ・マニラ大で歴史を教えるフランシス・ゲアロゴ教授(60)は「軍事協力の拡大を、われわれは妥協として受け入れている」と率直に語る。

「負け戦の歴史」と記憶の風化

スペインによる植民地化に始まり、米国、日本からも支配を受けたフィリピンの歩みをゲアロゴ氏は「負け戦の歴史」と表現する。経済的支援を続ける日本に対する評価の背景について、同氏は「金銭的な要因とは言いたくないが事実上そうなっている」と指摘。同時に、記憶の風化に対する危機感を募らせる。

戦後生まれのゲアロゴ氏は、旧日本軍によるフィリピンの従軍慰安婦問題で日本政府に公式な謝罪や賠償を求めている団体「リラ・ピリピーナ」の理事長でもある。元慰安婦たちには、日本政府が関わった基金から「償い金」が支給されてきたが、最近知人が「彼女たちは自らの意思で日本軍に仕えた売春婦だ。被害者ではない」と言っているのを耳にした。「戦争を経験した世代は『起きたことを決して忘れてはならない』と考えていたが、世代とともに変わってしまった」と語る。

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加速する軍事協力と国民の懸念

両国の軍事協力は、自衛隊とフィリピン軍の相互往来を容易にする協定や、自衛隊の大規模合同演習への本格参加など、加速度的に進んでいる。フィリピン国内では「もっと武器を持って戦いに備えるべきだ」という声すら広がっている。しかし、ひとたび紛争が起きれば最前線にいる国民が犠牲になる。「歴史的にフィリピンは大国の争いの場になってきた」とゲアロゴ氏は指摘し、戦禍の記憶が薄れる自国の将来を案じている。

太平洋戦争のマニラ市街戦での市民の犠牲者は、日米両軍兵士を合わせた数をはるかに上回る。記憶の風化と安全保障のジレンマの中で、フィリピンは今、新たな岐路に立っている。