現在の旭市、匝瑳市、東庄町にまたがる広大な湖・椿海(つばきのうみ)は、江戸時代初期の干拓によって姿を消した幻の湖である。中世には水運が盛んで、湖岸には関所や荷役場として機能した多くの城が築かれたとされる。このほど、椿海を囲むように点在する城跡を巡るガイドバスツアーが実施され、参加者は往時の風景に思いを馳せた。
航海安全を祈る神社が残る城跡
ツアーは、千葉城郭保存活用会などが主催し、仲島城、江ケ崎城、網戸城、見広城、鏑木城、椿城の六つの城跡を訪れた。最初に訪れたのは旭市の袋溜池ほとりにある仲島城。同会代表の小室裕一さん(64)は「池は椿海の一部で、仲島城は湖岸にあった名残がある」と説明した。
続いて訪れた江ケ崎城の敷地内には、航海安全を祈願する金刀比羅宮の小さな祠が立っており、椿海と水運の関連を物語っている。
内陸航路の玄関口だった椿城
網戸城は戦国武将・木曽義昌が居城したことで知られる。義昌は1590年、豊臣秀吉の命で徳川家康の配下としてこの地を治め、信濃(長野県)から移り住んだ。見広城は椿海の東岸、鏑木城は北岸に築かれ、いずれも台地上に位置し、切り立った崖下に船着き場があった可能性が高いという。
椿海の西南端に位置する椿城も、見広城や鏑木城と地形的な特徴を共有する。小室さんは「軍事拠点であると同時に、水上交通の監視や水運運営の面でも重要な役割を果たしていた。特に椿城では通行料(関税)を徴収していた可能性もある」と指摘する。
椿海で水運が発達した背景について、小室さんは「西日本から東北へ向かう際、難所の犬吠埼沖を避け、椿海と北方の巨大内海・香取海を経由して太平洋に出る航路が構築されていた。椿城はその内陸航路の玄関口だった」と説明した。
歴史好きの少年も参加
ツアー参加者の大半は年配者だったが、大網白里市から母親と参加した小学5年生の小川瑛太さん(10)は「歴史が好きで、自分でこの企画を探して参加した。解説が分かりやすくて面白かった。有名無名にかかわらず、どんな歴史がつくられてきたのか関心がある」と笑顔を見せた。



